九月の断章

日々の研究や日常から感じたり考えたりしたことを綴っています。

ロックダウン下のハイデルベルク:コロナ危機下の一ヶ月〈3月編〉

2020年、まさかこんなことになろうとは——そう誰もが思っていることかと思いますが、感染の拡大するなか、僕はロックダウンされたドイツに3月末まで滞在していました。

現在は帰国し、その後14日間の要請された自宅隔離期間を終えたところです。

 

ドイツでロックダウンの始まった3月後半から、帰国者として隔離させられていた日本での4月前半までで、ちょうどほぼ一ヶ月が経ちました。 その期間を「コロナ危機下の一ヶ月」と題してブログにまとめて記すべく、今回の記事ではロックダウンの始まった3月後半のドイツ、とくに僕の滞在していた都市の様子について書いていきます。

 (*序章となる「コロナ危機下の一か月〈まで〉編」はこちらです)

(*かなり記憶に頼って書いているので、間違っている記述や、より詳細なソースなどありましたら、教えていただけると幸いです。) 

 

 

★3月後半:ロックダウン下のハイデルベルク

3月3週目

オンライン授業の決定

3月16日(月)は、語学学校側から言われていたように、通常通り登校。ただ、この日から教室は移動となり、いつもより広い空間で、机と机の距離も空いていました。いつもと違う距離感、雰囲気。また、授業中に事務の人がやってきて出席を取られるのは普段のことなのですが、この日はオンライン授業についての説明も行われ、質問はないかと念を押されました。

授業終わりの時点では、次の日もとりあえず登校するようにと聞いていたのですが、その日のうちにオンライン授業開始が決定されたことをメールで知らされ、これが最後の対面授業となりました。

授業続けるのは偉いし、あと州令の学校施設閉鎖の項目にも、~~試験等に不利益がないように、と明記されてるのには、こうした危機下においても教育の権利を尊重している姿勢が見えて感心しました。

そして翌日3月17日(火)から、zoomを使ったオンライン授業が始まりました。(ちなみに、zoomの使い方それ自体についての説明はなく、メールにリンクが添えられていただけです。……日本の大学の先生方はいろいろ学生に気を遣ったり授業準備を工夫しているみたいですが、この場合はそっけないですよね。まあ、語学学校の先生方の動きが僕からは見えないだけかもしれませんが)

 

実際、16日にはバーデン=ヴュルテンベルク州ではコロナウィルス対策に関する州令が出されており*1この日を境に街のロックダウンが始まったことを記憶しています。

この州令は、翌17日には防疫対策が改正されていますが*2、このころ出された新型コロナに対する新たな防疫措置とは、教育施設や市民大学を含む様々な施設の営業停止、幼稚園および全ての学校施設の閉鎖などを指すもので、基本的に3月17日から4月19日までとされていました。(*現在は状況が違いますので、最新情報はほかでチェックされたし。)当初の期限とされていた19日も、今となっては過ぎましたね……5月3日までは学校施設も含め基本的に閉鎖だそうです。

 

基本的にイベントや集会も禁止なので、この日からヨガ教室や、ホルンのアンサンブル会もなくなりました。

カフェやメンザの対応

まだこの日、カフェに友人たちと集まったり、そのあとメンザ(ドイツ語の「学食」)に行ったりしましたが、どこも、いつもとは違う様子でした。

お気に入りのカフェはちょうどこの日を最後にしばらく閉めるということでしたし、

メンザも、机ごとの間隔、そして一人一人の間隔が空けられているこの日の光景はなかなか衝撃的で、かなりコミュニケーションしづらくなっていました。

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撮影:3月16日。メンザの様子。奥がビュッフェ。

 写真横に、間引かれた椅子が積んであるのがわかります。

 

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撮影:3月16日。机が2つ、くっつられて、対面に座る人との距離が遠くなった。

 普段だったら一つの机を囲んでいるので、手前の水のあたりにはもう友人が座っている距離感でしょうか。

 

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撮影:3月16日。ビュッフェの様子。ロープや白い机で、食器や食べ物の台から遮られている。

ハイデルベルク大学のメンザ、通常はビュッフェ形式なのですが、係の人が食事とってくれるようになったのは1週間ほど前から。いつも自分でモリモリに盛り付ける食事とは違うんですよね(´・ω・`)

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撮影:3月16日。モリモリしてない皿。

 

見てください、いつものメンザとモリモリのお皿を。

ああ、モリモリが恋しいな。

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撮影:3月5日。豚のルーラード(丸めた肉料理)の狩人風。

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撮影:3月5日。いつもの賑わうメンザの様子。

 

留学生たちの事情と帰国

また、この日から聞くようになったのですが、続々と、友人や留学生たちの帰国が決まっていきました。事情は様々ですが、みなさん、当初の予定とは大幅に異なった帰国を余儀なくされていました。

 

例えば、民間の語学学校にはワーキングホリデーの制度を使ってドイツに来ている日本人の方がけっこう多いのですが、

これから日本食の飲食店で働こうとしていたにも関わらず、飲食店の営業が難しくなってきたため(州によって措置が違いますが、営業時間の短縮、テイクアウトのみOKなど)、採用が取り消しになってしまった友人は何人か、それによって経済的にドイツに滞在する余裕や意味がなくなり、帰国することにしたという方もいました。ワーキングホリデーは一生に一度しか取れないですし、今のところいつまたドイツに渡航できるかもわからない状態だと思いますので、その機会をふいにされてしまったということにもなります。

 

ハイデルベルク大学の留学生では、例えば、交換留学生では、日本の大学から言われて帰国を余儀なくされるケースもありました。昨年の9月から1年留学予定の場合、予定の半分の期間で帰ったということになります。

また、4月からの学期の開始に備えて来ていた留学生も、3月の語学コースには出席できないことになり、さらに渡航しただけで帰国してしまった方も多いかと思います。その場合、渡航費や契約していた家賃など、ほとんど無駄になってしまった出費も多いでしょう。

また、僕の友人からも、ハイデルベルクではありませんが、ある大学の春休みの語学コースに来る予定だったものの、出発直前になってそのコース自体が中止になったという話も聞きました。

奨学金をもらっている留学生は、危険度レベルが2以上になったら留学中止になるところもあったり、その後の奨学金の支払いがされなくなるなどの事情で、ほとんど強制的に留学を中止し、帰国させられるような有様でした。

この問題については、帰国者に対する補償のなさと合わせて、知人が書いた記事をTwitterでも紹介しました。(*結果的に、彼女の奨学金のところでは3月分まで払われるようになったそうです)なお、帰国者に対する差別は、僕も帰国してからかなり意識すようになったので、後編の記事で詳しく触れたいと思います。

 

僕のような、留学先や制度と所属大学は何の関係なく、休学して個人で渡独している留学生もたまにいるのですが、そういう方でもこの後、3月23日に日本の指定するドイツの危険度レベルが3になったのに伴って、所属大学から帰国を命じられたという友人もいました。

ちなみに僕は大学から帰国を要請する連絡は、知る限りではもらっていなくて、もともと4月から復学予定でしたので、3月のいつ帰国するのか事前に聞かれていたくらいでした。なぜか。

 

また、ハイデルベルク大学には、当然日本人以外の留学生もいるわけですが、韓国からの留学生は、ただちに帰国を命じられるものではなく、1か月ほど猶予が与えられて、帰国するかそのまま滞在するかは、学生自身に判断が委ねられていました。(正直、この時のドイツでの友人たちの状況を見ていて、自分で判断する機会があることは重要だと思いました。)

日本人でも正規学生なら、自分で帰国するかどうかを判断できるわけですが、しばらく遠隔授業になるならドイツにいなくてもいいし、不安もあって帰国するという知人もいました。

 

などなど、多くの知人友人が、いろんな事情で帰国を余儀なくされるという状況でした。

 

映画館に駆け込むな!

白状します。

映画館に、映画を観に駆け込みました。

(駆け込むな。)

同じ3月16日、この日はまだハイデルベルクの中央駅の裏側にある大きい映画館はやっていて、コロナ対策で今後どうなるかは明日発表する、とホームページにありました。

映画は「1917 命をかけた伝令」を観に行きました。

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今まで同じ映画館に行ったときも、だいたい自分と一緒に来ている友人以外ほかに2~3組しか観客はいなかったんですけど、この時も夜ですがほかに二人組だけでした。

ちなみに、一コマ一コマ切り取ったときの画面の美しさ、あるいは陰影の印象が壮絶な映画でした。いろいろなところが、フィクションではあるんでしょうけれども。

 

ちなみに、大きな映画館とは反対側に、ハイデルベルクの旧市街地をまたいでKarlstorkinoという小さな映画館があるんですが、そこは3月14日(土)にはもう、翌・日曜日からしばらく閉鎖すると発表していました。ちゃんとホームページにそのニュースがあって見返せます。

というのも、Karlstorで15日(日)に上演予定の「名もなき生涯」という映画があって、観に行きたかったけど行けなかったんですよね。

 

www.karlstorkino.de

この映画を上映している館は限られていたので、実はフランクフルト(ヘッセン州なので、措置が違う可能性もある)の映画館に行くのも考えていましたが、無理でした。

(駆け込むな。)

さてこの「名もなき生涯」、総統が相当お怒りのようですシリーズの元ネタである「ヒトラー最期の12日間」のヒトラー役として有名な俳優ブルーノ・ガンツの遺作にもなった作品だそうです。

せっかくなので、Karlstorの紹介文を翻訳してみたいと思います。(突然のドイツ語翻訳)

フランツ・イェーガーシュテッターは、西オーストリアのあるへんぴな村で、妻と3人の娘たちと一緒に暮らしている、質素な山あいの農夫だ。自然との調和とともにあり、そして深い信仰心を持った、人々の尊敬を集める男であった。それゆえ彼は良心のために、断固として人を殺すことを拒否していた。ところが、第二次世界大戦が支配する時代、フランツ・イェーガーシュテッタ―もまた、軍隊に召集されることとなった。彼は兵役を拒否したが、教会の助言を求めるも成果はなく、ついにはベルリンで死刑に処されることとなった。

雄壮な山の舞台装置に、主演俳優をはじめとする迫真の演技。そして、「ツリー・オブ・ライフ」や「シン・レッド・ライン」といった作品を通じて知られているテレンス・マリック監督が見事に描き出したのは、偉大なるヒューマニティによって刻印された、形式的で叙事詩的、非常に事細かく(あるいは冗長に)編成された一人の人間――そして長いあいだ忘れられてもいた英雄――についてのドラマである。

 

Franz Jägerstätter ist ein einfacher Bergbauer, der in einem abgeschiedenen Dorf im Westen Österreichs zusammen mit seiner Frau und seinen drei Töchtern lebt. Ein respektierter Mann, im Einklang mit der Natur und tief religiös. Darum lehnt er es aus Gewissensgründen entschieden ab, einen Menschen zu töten. Doch es herrscht der 2. Weltkrieg, auch Franz Jägerstätter soll einberufen werden. Aber er weigert sich, sucht erfolglos den Rat der Kirche und wird schließlich in Berlin hingerichtet. Vor prächtiger Bergkulisse und eindringlichem Spiel nicht nur der Hauptdarsteller gelang Terrence Malick, bekannt etwa durch „The Tree of Life“ oder „The Thin Red Line“, ein von großer Humanität geprägtes, formal episch sehr breit angelegtes Drama über einen stillen, lange Zeit auch vergessenen Helden.

ちなみに、日本ではちょうど今年の2月から劇場公開が始まっていたのですが、日本でも今は開いている映画館も少ないですし、行きづらいですね……。

 

友人たちと最後の時間

オンライン授業の開講された翌日、3月18日、ハイデルベルクの友人たちと会いました。

春のハイデルベルクの様子をすこしだけご紹介。

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日本カフェでテイクアウトした煎茶で花見。

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ネッカー川、川縁の野原。天気も良くて、散歩している人も、ロックダウン下では比較的まだ多い。

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旧市街地から川向のイタリアン・カフェでジェラートをテイクアウト。天気がいいので、みんなアイスを買いに並んでいた。

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橋から撮ったネッカー川。右手に見えるのが旧市街地。左手の山には、「哲学の道」。

 

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哲学の道。観光名所の旧市街地と、アルテ・ブリュッケ(古い橋)が一望できる。

哲学の道は、山のなかの散歩コースですが、この日はやはり花も咲き誇る春爛漫といった陽気で、散歩するひとで賑わっていました。

それでも、旧市街地全体や中央通りの様子としては、観光客もいて賑わっている普段よりは、全然ひとは少なかったと思います。
ネッカー川沿い、大好きです。

     ◇

 

なお、3月20日に、日本領事館からもらったメールで、21日から接触人数の制限がありました。自分も含めて、3人までしか集まってはいけないという決まりです。(家族やパートナーは除いて)

 

     ◇

 

思い出したことと今思うこと

ここまでで、書き洩らしたことを一つ。

中国人エンジニア

2月の中旬までのいつかだったかと思うが、ある日iPhoneのバッテリー交換をしにいった。中国人のエンジニアが働いているのだが、受け取る際、彼に中国の家族や友人は大丈夫?と声をかけた。そうしたら彼は、家族はドイツにいて、自分もそのために働いているんだと答えた。中国の政府は嘘ばかりだ、と批判的にコメントしていた。よりよい暮らしや公正な社会を求めてドイツで働いているんだなあと思った。返答として、日本も今経済格差がすごくて、貧困が広がってるのであまり暮らすのによくないよって話をしたが、少なくともシステムが民主主義である以上、社会をよりよくできる希望は捨てたものではないと思いたい今日この頃である。

 

ギリギリパーティ

あと、4月15日(日)、トルコとドイツにそれぞれルーツがある友人が、ささやかなお別れ前のホームパーティーを開いてくれました。思えばこれより後だったらそれもできなかっただろうから、ギリギリのタイミングでした。

お土産に、手作りのトルコのモザイクケーキをいただいた。チョコでずっしりしておいしかった。

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トルコのモザイクケーキ

 

ドイツの買い物事情:トイレットペーパーと消毒ジェル

 同じ15日の夜。(日本時間朝)

いやしかし、その約一か月後=リアルタイム東京でも、いつも行くスーパーやディスカウントストアでも、トイレットペーパーがちょうど切れるタイミングでなくて、このあいだ1000円近くでポチることになろうとは……。つらみ。

ドイツでも、トイレットペーパーだけでなく消毒ジェルも、普段売ってるところになくなったりもしていました。日本でもドイツでもなくなるものは同じですね。

あと、同じように紙のアイテムでは、キッチンペーパーもなかったみたいですね。僕が帰る前で余っていてもう要らないので、欲しい人にあげたりしました。

 

ちなみに、ドイツでは見た一番高い消毒ジェルは空港で売ってたもので、ほぼ13ユーロ。日本円にしておよそ1500円でしょうか。

僕がドンキで買った消毒ジェルは、一応480mlで2000円近くだから、実は、まだコスパがいいんですよ。(嘘でしょ…?)ドイツでも以前は1ユーロショップでちっちゃい持ち運びボトルも売ってたのになー、それもなくなりましたからね。

恐ろしい世界……!

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撮影:3月30日。フランクフルト空港の消毒ジェル。お値段12.95€なり。


 

 

3月4週目

そんなこんなでいよいよ僕のドイツ滞在最終週。

もう基本的にはただ引きこもって、午前はオンラインでドイツ語コースを受講、1日のうちできれば一度くらい散歩に行って、たまに買い物して、楽しく料理する、といった感じの日々でした。

 

街の様子

4週目に入ると、旧市街地でもめっきり出歩く人は減って、街全体がもぬけの殻になったみたいだったのを、よく覚えています。

ちょっと、先週(3週目)の様子から写真で見て行きましょう。なお、同じポイントではないですが、写真はすべて同じ旧市街地の中央通りで撮ったものです。

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撮影:3月16日。この日までは通常運転だった。ストリートパフォーマンスを聞いていた。

 

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撮影:3月17日。ジェラート屋さんの前で、アイスを食べるひとたち。

 

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撮影:3月20日。ひと気のない旧市街地、中央通り。

これには正直かなり驚いた。こんな中央通りは見たことがない。

 

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撮影:3月26日。旧市街地、中央通り。まばらに人が。

……と、ロックダウン下での日常生活と街の風景は、このようになるんだと実感しました。
以前のようにはほとんど人は出歩かないが、その中でも買い物や散歩などで人々が日常生活を送っている様子と言いますか。

 

ドイツの買い物事情:ソーシャルディスタンスっていうか、対人距離

ドイツでの買い物事情を少しだけ上記に書きましたが、起きた現象は品不足だけではなく(あ、ちなみに知る限りでは食べ物がないってことはありませんでした。)、4週目に入ると、お店では対人距離もかなり気にされるようになっているのを目にしました。

入店できる人数が制限されていたり、店内に距離を開けようと促す注意書きが貼ってあったり、買い物客が並ぶときに距離をあけていたり、というお店もありました。

入店人数が限られているばあい、お店に入るの時間がかかるんですよね……。

ただ、日本に来て思いましたが、それでも感染リスクを減らすにはぜんぜんいいと思います。日本のスーパー、三密すぎて怖いです。

 

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撮影:3月26日。スーパー。店内のいたるところに、対人距離の注意書きが。

 

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撮影:3月28日朝9時。おいしいと評判のパン屋さん。開店時間にはもうこんなにひとが並んでいるけど、距離を開けているのがわかる。

 

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撮影:3月19日。バーガーキングのドライブスルーに、人が。店内が開いていないのでテイクアウトするしかない。外食できるところも減っている。
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バーガーキングのWhopper! 植物由来のパテを使ったヴィーガンメニュー。

ちなみに、ふつうにかなりおいしいです、ワッパー。日本にはないのかな。動物を犠牲にすることによる罪悪感や環境負荷もなく、おいしいハンバーガーが食べられるのは最高。

ああ、ブログ書いてておなか減ってきた……。

 

     ◇

 

4月27日、市役所に用事があって旧市街地に出かけたのですが、たまたま近くのリンツが開いているのが見えたので、まさか、今やってるの…!?と思いながら行ってみました。

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安くなっていたのでお土産用にと思って買ったんですが、日本で結局家族くらいにしか渡せていないので、ざんねん。配るのに買った袋を一つ開けて、ちょっとずつ食べています。リンツ、おいしいんだなー。

 

サマータイム:さよなら、冬のドイツ

29日未明、サマータイムになって、夜が1時間短くなりました。

 

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(29日夜のツイート)

 

正直、コロナの影響がなければ、ドイツ滞在最後の2週間も、人に会いまくって、せわしない時間を過ごすことになりそうだったので、お家でゆっくりできたこと自体は悪くなかったと思っています。

 

次回予告

4月前半、夜も眠らぬトーキョー・シティ。

いよいよ帰国!空港の検疫、空を見渡せば、桜――そして久しぶりの寿司!

空港検疫をぶじに通ることができたのか。14日間の隔離期間をどう過ごしたのか。

次回、帰国、そして東京で隔離生活:コロナ危機下の一ヶ月〈4月編〉

更新待ってね★

*1:ミュンヘン日本国総領事館発行メールマガジン第569号「バイエルン州及びバーデン=ヴュルテンベルク州における新型コロナウィルス対策(新たな防疫措置)」(3月17日)を参照

*2:ミュンヘン日本国総領事館発行メールマガジン第571号「バイエルン州及びバーデン=ヴュルテンベルク州における新型コロナウィルス対策(新たな防疫措置2)」(3月18日)を参照