九月の断章

日々の研究や日常から感じたり考えたりしたことを綴っています。

掌編「あめの音」

この作品は2020年5月16日の「お題バトル」に投稿したものです。(初出:https://fuduki-ren.hatenablog.jp/entry/2020/05/16/142632

久しぶりに見返したら、急ぎ書いたままの誤字脱字等ありましたので、修正と共に若干の改稿を行いました。

 

とりあえずの文学系創作物置き場はこちら。ほかの作品もあります。https://novelee.app/user/6ob7cb5BKNbRFA68GsgqMFPZkim2

 

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 中学の同窓会が渋谷であった。中三の時のクラスと、となりの組との合同で企画されたらしい。土曜の夜、安っぽすぎないチェーンの居酒屋だ。

 10年ぶりか、と亜以子は呟いた。

 ふつうに浪人や留年なく4年制の大学に行き新卒で働き始めていたら、今年で会社員3年目になる年だ。同級生の半数ほどはこのコースを辿っている。中学卒業以来、家族で東京に引っ越し、中学のあった地元を離れることになった亜以子には、なんだか居場所がなく感じられた。
「あれ、亜以子じゃない?」馬鹿騒ぎする男性陣を机の向こう側に見やりながら一人でビールを飲んでいたら、後ろから声をかけられた。
「おお、泉っちゃん」
 泉はカシスオレンジのグラスを手に微笑んだ。中学のころ彼女とは音楽委員会で一緒で、泉は委員長だった。
「今何してるの?」
「今学生だよ。音大の」
 ええ、すごいねと通り一遍のリアクションをされた。……泉にそのリアクションをされたことにちょっとイラついて、ジョッキを飲み干しながら、泉は何をしているのかとふつうの会話をした。
「でも泉のほうがピアノうまかったじゃないか。いろいろ賞とったり、学校の行事や合唱祭でもいつも任されてて」
「実はさ、高校の時に辞めちゃったんだ〜。親が大学受験にうるさくてさあ。でも最近は少しだけまた弾くようになったんだよね。てかこのカシオレ甘っ」
 あっそう、と新しく来た徳利からおちょこに日本酒を注いだ。
「ふくいーんちょは?」
 あそこにいるよ、と泉が指したほうは、座敷の出入り口だった。
 ふくいーんちょのちいさい身体から生まれる躍動感のある指揮は素晴らしかったなあ、と思いを馳せつつ、今は大きくなったその大輝に声をかけた。
 おお久しぶり、とあいさつし合って、今は何をしているのかとい聞いたら、「学校の先生だよー」だそう。
「なんの教科?」亜以子は靴箱に寄りかかって、煙草に火をつけた。
「英語なんだ」
「部活とかは?」
「それが陸上部なんだよね」大輝は自嘲気味に笑った。
「ええ、君運動嫌いだったのに」
「そうなんだよね。俺も興味がなさ過ぎて、教えるのか苦痛だし、そのことが生徒たちにも申し訳なくてさ」
「音楽系の部活はやらないの?」
「まあ、あるんだけど。新人だしあまりそういうの言えなくてさ」
 ……そっか、と亜以子は煙を吐いた。
「残念だなあ」
 大輝は亜以子から一本煙草をもらいながら、そんなの子供のころの話でしょう、と苦笑した。
「馬鹿、私は本気で君たちの音楽に憧れてたんだ」
 ぎゅっと灰皿に煙草を押し付けて、鞄をとりに座席に戻ると、泉がどうしたの?と目を丸くした。
「帰る」
 靴箱を通りかかると、大輝が灰を落としていた。追いかけてきた泉と何か話している。
 靴を履いて外にずかずかと出ると、雨が降っていた。
 もうどうでもいいか、と思い歩き始めると、2、3歩も歩かないうちにびしょ濡れになった。自分の憧れのひとたちが、今はもうその才能や情熱に関係のないことをしているんだと思ったら、馬鹿なのは自分だけみたいで、悔しくて泣きそうになったが、涙も雨に紛れていった。

 ふと後ろから傘が差し出されて、雨が亜以子の涙を誤魔化すのをやめた。泉が追ってきたのだ。
「私のことはいいよ、泉が濡れるでしょう」
「……私車だから、送っていくよ」
 と言うので、亜以子は泉の車に乗り込んだ。
「車買ったんだ?」どう見ても新車だった。泉は、「そう~、満員電車嫌だからね」と嬉しそうに言った。
 あ、飴食べる?と、続けて泉は居酒屋の会計にあるミントの強い飴をくれた。ミントの刺激が鼻の奥をつんと刺した。
 峠道に差し掛かってワイパーが一層激しく、窓についた水滴を散らす。
 強い雨音のなかで、泉の声がやけに響いた。「私も大輝も、亜以子の音楽づくり大好きだったよ。きっといっぱい勉強して、今はもっと素晴らしいんだろうな」
 いつか聴きに行くから、と泉は微笑んだ。亜以子は泉の微笑を認め、それから何もかも濡れたまま目を閉じた。少し疲れた。窓をたたく雨と車の揺れるリズム、そして懐かしい泉の声に、カラコロと亜以子のミント味のからだは揺蕩った。