なんとなく、このタイミングは見返したときにきっと意味があるだろうという気がして、久しぶりに日記を書きます。
地震
あと1ヶ月で東日本大震災から10年、というこのタイミングで昨日、大きな地震がありました。千葉にいた僕もかなり長いゆれを感じ、怖くなって、とっさにリビングの大きな机の下に逃げ込んだ。
地震の多発する国なのに、311を経験してなお、未だに地震のたびに原発は大丈夫か心配しなくてはいけないなんて、と嘆く声や、311の福島の損害賠償が間もなく10年の「時効」を迎えようとしていることの思い出させる呼びかけをTwitterでは散見して、未だに311の傷は癒えていないし、原発の問題も先送りにされ続けているという現状をあらためて認識をしました。
修論の軌跡
先月となる1月20日、締切日に修論を提出しました。案の定ギリギリの提出となったが、提出は提出。書き上げて出せたことがまず素晴らしい。
もうすぐ口頭試問があるが、すこしずつ準備を始めています。
口頭試問に備えて修論を読み返しているが、最後の20日の煌めき、もとい成長がすごいなあと。
— 永月いつか☔️ (@mit0919Sahne) 2021年2月12日
ちなみに、修論を書き上げるまでの軌跡を吊り下げたツリーがこちら↓
修論提出受付まであと119日らしい(受付期間は+6)。カウントダウン方式で進捗をやっていくか。。
— 永月いつか (@mit0919Sahne) 2020年9月17日
車
2月に入って、車の教習所にも通い始めました。
今日ははじめて車を実際に運転した(!)のですが、かなり怖かった…...。よくあんな凶器をみんな乗りこなしているよな。というのが最初の感想。
今日は良く晴れて暖かく、帰り道、梅が咲き誇っていました。
本屋
僕の住む町には本屋がない。
したがって、実家にいるときにはいつも自転車や電車で隣の町まで足をのばして本屋を訪れます。
昨日は自転車で本屋に行ってきました。
買ったのは、
小野正嗣『100分de名著 フランツ・ファノン 黒い皮膚・白い仮面』
岸政彦・柴崎友香『大阪』
あと、予約していた
『写真が語る 千葉市の100年』(高いけど、祖母と一緒にみようかと思って・・)
など。
ファノンのことは知らなかったのですが、先日、2月12日に開催されたリチャード・J. バーンスタイン『暴力 手すりなき思考』の公開研究会にて紹介されていて、どのような人物なのか・どのような著作があるのか知る機会がありました。
今日はバーンスタイン『暴力』の研究会を聞かせていただきましたが、久しぶりに哲学的な議論に触れられてたいへんに刺激的だった。
— 永月いつか☔️ (@mit0919Sahne) 2021年2月12日
『暴力』においては、ファノンの著作としては『地に呪われたる者』が分析の対象とされていて、これは「抑圧―被抑圧の構造の打倒」を語る・考えるものとして読むことができるものだそう。(背景には、アルジェリア独立戦争において、ファノンがアルジェリア民族解放戦線(FLN)に協力したことがあります。そこでファノンが目指したものは、抑圧からの「解放」だったといいます。)
こうした話を聞いて、ファノンには大変興味を持ちまして――というのは、例えば沖縄と本土の関係で特に感じるように、抑圧や差別の構造に加担している辛さを感じるところが僕自身にはあるのですが――、『地に呪われたる者』に先立つ著作『黒い皮膚・白い仮面』にも関心を持ったわけです。
まだ読んでいないわけなのですが、『黒い皮膚・白い仮面』は、フランスの植民地のマルティニーク島出身で、いわゆる黒人かつ医学生で白人社会のエリートだったファノンが、矛盾した自己の精神・身体の分析を試みた著作であるそうです。
植民地主義や人種差別が問題にされるのですが、昨年のBlack Lives Matterの運動と厳然たる人種差別の存在を目の当たりにした今、読み考える価値のある著作と言えそうです。というわけで読みます。
話は冒頭の、昨日起きた地震に戻ってきますが、人種差別と言えば「朝鮮人が井戸に毒を入れた」という関東大震災のころと変わらぬ流言が、昨日の地震の後にTwitterで流れていて、まさかと思わされました。関東大震災は1923年だからもうすぐ100年経つというのに……。面白半分でやっているのかもしれませんが、このような繰り返しは許されません。そもそも当時の犠牲や差別を知っていたら、そのようなことが軽々しく言えるものではないという歴史的な理解も、それが現代においても差別を煽動する発言であるという理解もないものかと思います。
差別デマを目にして再掲。熊本地震のときもそうだったが、つくづく度し難い。https://t.co/CEFeZiRdH9
— 朝守飛阿弥 (@heero108) 2021年2月13日
まだまだ立ち向かわねばならないことは、多くあるようです。
読んでいる本
そんなこんなで本を着実に積んでいる僕ですが、今現在「読んでいる」(積んでない)本を書き留めて、終わりにしたいと思います。
今読んでいる本のラインナップは、
國分功一郎『哲学の先生と人生の話をしよう』
古田徹也『はじめてのウィトゲンシュタイン』
です。
そういえば、2月に入ったくらいからTwitter上では、
ナチス肯定高校生→田野先生の百人組み手→オススメ新書三冊→ジェンダー問題……Twitterドラマに終わりは来るのか?
— しゃれこうべ★ (@JJGS_76) 2021年2月11日
以上のような論争が湧き起こるなかで(タルムードやシオンの議定書を読め発言に絡まれる歴史研究者もいたような……↓(魚拓))、
えっ!?『シオンの議定書』!?偽書と確定しているものを読んで「ユダヤ人の歴史を知れ」だって???🤔 https://t.co/s2G5ODtM3w
— Lotzun (@lotzun_DeuPol) 2021年2月10日
ナチズムに関しては専門家に絡まずにまずは本を読んで勉強してください/新書くらい読めるでしょ/新書も読むの難しくない?、みたいな議論の流れがあったように思いますが、その読書をめぐる議論のなかで一番僕が共感したツイートがこちらでした。
本読むのはあまり得意じゃないんですが本は大好きです。部屋は積読だらけ。
— かっぱちゃん(修論審査終了!) (@NEMOTEAMAT) 2021年2月10日
でも本当に「知りたい」と強く衝動的に心が動いたときにそれを知るための術がいつも側にあるというのはとても幸せなことです。そしてモチベーションが高いときほど「読める」ようになったりするんですよ。面白いでしょう。
うん。これはまさに、僕の読書や積読に対する姿勢を言語化してくれたようなツイートですね。読まなくても本は、その本があるだけで、自分が過去に関心を持ったことや、その本を手に入れた経緯や場所にまつわる記憶などを思い起こさせてくれる存在でもあるのです。しかも関心ややる気が湧き起こったらいつでも読める状態にあるというのも、本をちゃんと手元に置いていることの素晴らしい利点です。
これからも積んだり読んだりと、本とは、楽しく長く、付き合っていく友なのです。