九月の断章

日々の研究や日常から感じたり考えたりしたことを綴っています。

「何か」があった日の日記――沖縄戦「慰霊の日」と「想起のしかけ」

2022年6月23日のことだった。

「酒飲んでる時に戦争映画見せられるのは萎えるわ」

と飲んだ帰り道で、友人が言った。

その日訪れたバーでは、小さな店内の中、岡本喜八監督の映画『沖縄決選』がループ再生されていた――音量は絞られほとんどなく、字幕付きで、しかし確固たる存在感を持って。

(あ、そう思ってたんだ)

僕は沖縄戦の「慰霊の日」に『沖縄決選』を東京の公共性のある場で流すことは、非常に意義とセンスのある行為だと感じていたから、仲のいいはずの友人とは違う感覚を有していることが分かったのだ。もちろん感じ方が違っても、それを互いに認められるのはいい関係だと思って気に入っている。

 

バーを出て夜道を歩く中で出てきた友人の感想に違和感を受けたならば、果たして僕は「酒飲んでる時に戦争映画見せられるのは萎え」なかったのだろうか?

答えは、”よく考えるとNO”だ。

僕は「バーで戦争映画が流れている」という状況に対して、一方では社会的な意義や店主のセンスを感じながらも、同時にきっと友人と同じようにグロテスクなシーンや無責任な旧日本軍の選択や、その皺寄せを被る沖縄の人びとの苦しみ等々――枚挙に暇がないほどの苛酷な沖縄戦をテーマにした映像化を目の当たりにし、その事実を想起し、「嫌な気持ち」も感じていた。

いや、沖縄戦という歴史を前に、「嫌な気持ち」なしにいられる方が、どうかしているといった方が正解かもしれない。おまけに、むしろちゃんと映画の画面や内容を見ていないと「嫌な気持ち」は抱くことができないかもしれない。「嫌な気持ち」は、実はちゃんと考えたり感じたりした証なんだろう。

 

しかし告白すると、この記事を書こうと思ってちゃんと考えるまで、僕は友人のように「嫌な気持ち」を少し忘れかけ、知的な面白さや社会的意義の方を優位に感じていた。このような僕の感じ方について、触れておこう。

ここでは一旦、映画『沖縄決選』については、その評価には触れずに、単に”特に我々沖縄県外で暮らす人間に対して、沖縄戦があったことの認識を喚起し、議論を誘発するきっかけ・素材となるもの”と捉えることとする。

 

まずは、僕自身の特殊性――歴史学を専門的に学んできた、特に戦争に関することをテーマにしてきた、というバックグラウンドが一つに挙げられるだろう。したがって学問的な興味もあって、日常的に戦争について議論することには慣れているし、知的にも面白いと感じる。それは、酒があってもなくてもだ。

第二に僕自身の思想として、戦争の悲惨さや、自身に連なるものであっても加害の歴史には自覚的に目を向けるべきだと考えているので、それらに関わる事柄を公共性のある場で議論がなされること、自分自身がすること自体にも社会的な意義を感じている。

特に沖縄については本土の人間として、本土の沖縄に対する加害の歴史や、今も抱えている加害性を知らなければならないと以前から考えており、そのため沖縄戦のことはとりわけ重要度の高いトピックだと認識していた。

どうして沖縄についてこのような思い入れがあるのかというと、僕は歴史学を学ぶ中で、どのように教育に橋渡しするべきかを考え、歴史教育平和教育についても学んできた。平和教育学を学ぶ際には、沖縄を題材に勉強をしたこともあったからだ。沖縄に関して勉強すればするほど、現代でも「日本」という国家において本土(沖縄から見た他府県)が沖縄を抑圧し続けている構造に、本土でのうのうと暮らす側の人間として加担していることへのもやもやした気持ちを感じてきた。このもやもやは、まだはっきりとは言葉にはできないが、部分的に単語を上げるならば、罪悪感や、申し訳なさや、沖縄のへの平和を願う気持ちなどがある。そして現代におけるこの状況は、もちろん歴史的な厚み・過去とのつながりがあり、また、沖縄が本土の捨て石とされ地上戦の舞台にされた事実や、さらにそれ以前からあった植民地への差別心とも切り離せない。

(沖縄に対する本土の抑圧の構造という言葉遣いや、それの指す内容の吟味については、ここでは議論しない。が、僕が知っている限りでは具体的に、「日本」を防衛する名目で在日米軍基地の大半が、「日本」の国土でもほんの一部の沖縄に集中しており、そして住民が健康面や文化面での損ないを受けるなどの負担がかかりすぎていること、そして一つの県の(困っている人たちの)意向を、国政は汲み取らずに政治を進められてしまうことなどを「抑圧構造」だと見做している。この、国政を変えられないことがとりわけ本土側の人間として罪悪感を感じる部分である。気になる人は自分で調べたり勉強したり僕に直接聞いたり、あるいは僕と一緒に勉強してみてください、僕も勉強不足なので。)

 

以上の理由――知的な興味、テーマへの馴染み、社会的意義の感受等々によって僕は酒を飲みながら『沖縄決選』を観たのはとても面白い経験だと感じていた。しかしそのような自らの知的好奇心によって、僕はつい、友人にように素直にちゃんと「嫌な気持ち」を感じることを、忘れていた気がする。

そもそも酒を飲むときに何を話したり考えたりしたいかというのは人によって違っていて、僕は真面目な議論も歓迎だが、酒を飲むときは真面目ではいたくないという需要も当然飲酒にはあるのだろう。だいたい、僕だって好きな友人たちと美味しいお酒を飲んで楽しい気持ちになるのと、真剣に沖縄の人びとの苦しみに思いを馳せるのは、矛盾する心の営みだ。前述のように知的な興味深さ以外に、そこには「嫌な気持ち」も共存している。

 

しかし、くだんのバーでこの日『沖縄決選』が流れていたのにはやはり決定的な意味があったのだ。それは、6月23日であったということだ。

「慰霊の日」とは、太平洋戦争末期の沖縄戦での「旧日本軍の組織的な戦闘が終わった」とされる日であり、犠牲者への追悼や平和への祈りが各地で捧げられる日だ。

(参考:沖縄戦から77年「慰霊の日」 県主催の戦没者追悼式開かれる | NHK。2022年の「平和の詞」はこうだったのだ。)

”みんな普段考えないかもしれないけれど、6月23日くらいは、沖縄戦について思い出してみようよ”、というメッセージなのだ。

以前、何でもない日の日記という記事を書いたけれども、この日は、「何かがあった日」だったのだ。

ここから考えてみたいことは、「何かがあった日」に何かを考えるということの意味だ。

過去が日常に埋もれていき忘れられていく中で、人びとに特定の過去を想起させるためには、過去を想起させるために何かきっかけが必要だ。それは、ただのモノだったり、あるいは直接的に出来事の刻まれた記念碑だったり、事件の起きた現場としての土地だったり、出来事の起きたのと同じ日付だったり、何周年という時間の経過だったりする。ここでは以上の群をひとまず、「想起のしかけ」と呼ぶことにしよう。

 

友人は、酒を飲みながらじゃなかったら戦争映画を観たり沖縄戦について議論することは厭わなかっただろうか?

――おそらく、特に問題はなかったはず。すでに違う場で広い意味で戦争をテーマにした議論は交わした仲だから、それは知っているのだ。

しかし、無理やりにでもこのようなきっかけ(今回は6月23日という日付だ)がなければ、もしかしたらその友人とは生涯沖縄戦について共に想起したり議論したりする機会はなかったかもしれない。我々が酒を飲むときに「嫌な気持ち」になったとしても、今日のような想起の体験は、その嫌な感触と共にあの日あの場所で沖縄戦を想起したり議論したりしたという体験として、有意義なものだと僕は思う。

 

では、【特定の日に、嫌な気持ちになること】にそれなりに意味があったとして。

比較として、【いつも嫌な気持ちになること】と、【いつもは忘れていること】のそれぞれの意味や批判点についてて触れてみたい。

 

まずは【いつもは忘れていること】。

限定的なタイミングでしか重要度の高い記憶――例えば戦争――について思い出さないということは、普段から想起する機会がないということであり、こうした批判点も、再三言われてきた。

以前、

なんでもない日の日記――地震・差別・本 - 九月の断章

という記事を書いたが、これは実は「想起のしかけ」がなくてもなるべく普段から種々の問題に取り組もうという意図がなんとなくあったりなかったりしたのだ。

 

じゃあやっぱり普段から考えたり、まめに機会を作って考えたりするべきであって、急に特定の日だからって気持ちよく酒飲む場であるバーで血みどろの映画流すのには賛成しかねるという気持ちが湧くのも、ふつうの反応かもしれない。

 

やはり普段から考えないのには理由があって、つまりはそのテーマを考えることが、それなりに(おそらく多分に感情的に)コストの高い――つまり様々な「嫌な気持ち」が喚起させられる行為であるからだ。

 

でも、普段から考える機会を設けること――【いつも嫌な気持ちになること】について考えてみると、普段から「悲惨さ」や「残酷さ」を全面に出すような日本の平和教育のについては、以前から懸念点が提出されていることが思い起こされる。

その懸念とは、いつも「嫌な気持ち」になり続けていると、その気持ちを喚起するテーマを考えること自体を億劫にさせるのではないかという指摘だ。僕が実際に長崎出身の方から聞いたり、平和教育学を学ぶ中で知ったりしたことでもある。

もちろん子供のころに学校や地域の教育活動のなかで常日頃から戦争について教わるのと、大人になってから意識的に勉強の機会を取り入れるのでは、頻度や感じ方も異なるだろう。しかし、それを取り上げる時に何か居心地の悪さや嫌な気持ちを伴うようなテーマには、居心地の悪さや嫌な気持ちが感じられる理由がそれなりにあり、同時に重要性があることが多いと思われる。したがって、「嫌な気持ち」やそれを喚起する題材とはうまく距離感を保ちながら考え続けていくことが重要だと思う。

 

そして、このように感情的なコストのかかる行為だからこそ、その「何か」を忘れていたら、どうしても「想起のしかけ」によって突然「何か」を見せつけられる時はやってくるし、その際には、普段からそのテーマを考えていない(考えていなかった場合に)我々は感情的なコストを支払わざるを得ない。「想起のしかけ」によって忙殺される日常に突如として負の歴史が侵入し、我々のあいだで想起や意見の酌み交わしが生起することに、感情的なコストが発生するのは自然であり、むしろそのようなコストがかかることは歓迎したいと、僕は思う。

僕はこれまでも、感情的・身体的な体験が記憶と結びつくことをたぶん、けっこう、大事にしてきた。そしてこの年のこの日、友人との感じ方の違いから、むしろ、そのような想起や議論が「嫌な気持ちと一緒にあった」という体験そのものにも意味があるのではないかと考えるに至った。この日の「嫌な気持ち」や、友人との感想に違和感を感じた体験と、その時見たり聞いたりしたこと、話したり考えりしたことが一緒にあったという結びつきを、忘れずにいたいと願っている。

 

 

参考文献(参考にしたというよりも、本稿を書きながら思い起こした本たち):

・上間陽子『海をあげる』

新崎盛暉、松元 剛、前泊博盛、仲宗根將二、亀山統一、謝花直美、大田静男『観光コースでない沖縄――戦跡・基地・産業・自然・先島』

・竹内久顕『平和教育を問い直す 次世代への批判的継承』

 

 

追記。

かなり衝撃的な再認識をさせてくれるツイート。下記に載せたので、ぜひご一読ください。

そもそも6月23日にどんな意味があって、どんな意味がないのか?を我々は一度は考える必要があるだろう。

6月23は、牛島中将が自決した日であるから、組織的な降伏を放棄し、戦禍に軍人ではない沖縄の人びとを捨て置いた日というふうにも捉えられる。ますます気分が悪くなる。

さらに、ふつう日本では8月15日が終戦の日として認識され、これも「想起のしかけ」であり戦争に関することが想起されることが多い日だが、それは本土に暮らす我々にとっての話。沖縄戦が公式に終わったのは、9月7日であり、それまで沖縄では戦いが続いていたのだ。沖縄と本土での戦争の認識そのもののズレは、沖縄について知る中で考えなければならないトピックだろうと思う。

(参考:市民平和の日 | 沖縄市役所

余談だが、「終戦の日」という言葉は、日本の敗戦をごまかしている表現なので僕は好んでおらず、敗戦の日だなあと認識している。