2020年、まさかこんなことになろうとは——そう誰もが思っていることかと思いますが、感染の拡大するなか、僕はロックダウンされたドイツに3月末まで滞在していました。
現在は帰国し、その後14日間の要請された自宅隔離期間を終えたところです。
ドイツでロックダウンの始まった3月後半から、帰国者として隔離させられていた日本での4月前半までで、ちょうどほぼ一ヶ月が経ちました。
その期間を「コロナ危機下の一ヶ月」と題してブログにまとめて記しておきたいのですが、今回の記事ではその前哨戦として、それまでのあいだに、聞いた情報や持っていた実感などを、思い出していきたいと思います。
(*かなり記憶に頼って書いているので、間違っている記述や、より詳細なソースなどありましたら、教えていただけると幸いです。)
★1月
〇初めて新型コロナウィルスのニュースを聞いたのは、2020年の明けた1月に入ってから。僕の通っていたドイツの語学学校には、中国人の生徒も多く、武漢が故郷の友人に家族なんかは大丈夫かとやりとりをしたのが1月29日であった。
★2月
〇2月初め、新型コロナウィルスの流行について、まだ遠い地域の話として武漢の報道を聞いている。日本では地理的に近いにも拘わらず、水際対策が徹底されていないことについて批判されている様子。
〇2月中旬、岩田健太郎氏の、ダイヤモンドプリンセス号の非科学的なコロナ対策についての告発の報道で、日本の対策大丈夫か……(大丈夫でない)と衝撃を受ける。
〇2月の終わり、フィンランドとポーランドに旅行した際、2/27時点では、ポーランドにまだコロナの感染者はいないと聞く。イタリアでの感染者が報道され始めていて、ヨーロッパでも感染拡大が心配され始めていた時期。
★3月前半
〇3月1週目
さて、2月の雪の積もるフィンランド、そしてたびたび雪の降る天候に見舞われたポーランドの旅からドイツに戻り、花が咲き始め春を感じる季節。
3月1日には、ドイツに滞在している日本人留学生に声をかけ、ハイデルベルクにて研究会を開催していました。
(*この研究会については簡単に紹介する別記事を書きたいのですが、目下のところ研究会詳細は、ぜひ以下のリンク↓からチェックしてください!)
しかし今でこそ、「ほかの地域へ移動する」「各地域から移動してきて集会する」、というのは感染リスク的にアウトであることが当たり前の状況となりましたが、
まだ3月初頭の時点では、開催を中止するという考えは全く頭に浮かばないような状況でした。
◇
僕はドイツのハイデルベルクという都市で、週5日、語学学校に通っていました。ハイデルベルクは、ドイツの中でもバーデン=ヴュルテンベルク州に属しています。ドイツでは州ごとにさまざまな制度が異なりますが、コロナ対策も基本的に州ごとに行われています。
語学学校は、ショッピングや観光の中心地でもある旧市街地にありました。つまり、人が多い場所です。そのような立地でしたが、3月1〜2週目は通常通り、語学学校に通っていました。ただ、その中でも確実に、コロナの感染とそれへの対応・反応の波は広がりつつありました。
〇アジア人差別はあったか?
ヨーロッパをはじめとする各地域におけるアジア人差別は、特にこのころ、SNSで告発される様子を見ていました。僕の場合ハイデルベルクでは、コロナの不安によって表出したアジア人差別に直面することはありませんでしたが、ディスカウントスーパーのある店舗のレジに、(コロナ以前から)アジア人に対して態度の悪い店員がいて、苦笑するくらいでした。ちなみに態度が悪いのがどんな感じかというと、ほかのお客さんにはレジでふつうに挨拶や世間話をしているのですが、僕などアジア人の番になると、その人に対しては黙ったままお金を乱暴に受け取って落としたりしていました。
また時間は戻ってしまいますが、2月にはもう語学学校の先生が、コロナウィルスの話題を頻繁に挙げるようになっていました。ある先生の話ぶりについて、その先生が意図的ではないのはわかるのですが、"中国人に対して差別的ではないか?"とも友人は言っていたのが印象的です。2月の時点では、まだ感染がヨーロッパで広がっていなくて、中国の話だと思われていた背景があるとは思いますが、コロナウィルスと中国人を結びつけて話していたのが、友人には引っ掛かったのだと思います。だって、中国人と言ったって、ずっとドイツにいれば感染してるはずはないし、中国と接触のある人が帰ってきたとしたら、その方が人種に関係なく感染リスクは持っているわけです。
2月の語学学校の対応としては、中国人の生徒にアンケートを配るなどは既にしていたと思います。また、3月の前半になると、生徒みんながメールアドレスを書かされるなど、オンライン授業の可能性が噂され、その準備が始まっていました。
〇3月2週目
僕は1月の終わりから、自宅(語学学校の寮)から歩いて5分ほどのところにあるヨガスタジオに、毎週月曜日にヨガレッスンを受けに出かけていました。
2月の終わりは旅行で、3月の初めは研究会だったのでしばらく間が空いて、3月9日(月)に久しぶりにヨガに行ったのでした。そしてその日、ヨガの始まる前にはコロナの話題で持ちきりだったことをよく覚えています。
今日ヨガ教室行ったら始まる前にコロナのこと話していたけど、「でもまあ私たちは健康じゃない!」ってまとめで話が終わった。独語の授業でも一人が不安で休むと聞いて先生が「なんで今週休むの?ここにいる私たちは健康じゃない」というリアクション。不安がっても仕方ないという合理的な考えのかも
— 永月いつか (@mit0919Sahne) 2020年3月9日
(*3月9日夜のツイート。ドイツ滞在中のツイートは、8時間後ろにずらしてお考え下さい。)
また、同じ日に、フォロワーさんがシェアしてくれた次の記事↓を読んでのツイートでもありました。
ちなみに同じ日の夜にはまだ、参加していたオーケストラのホルンのアンサンブル会にも出かけていました。
こんな感じで3月の2週目はスタート。
コロナ感染拡大の波は確実に来ており、外出制限が噂されたり、それに備えて準備が始まりつつも、過剰に不安がることはなく基本的にはまだ通常営業でした。
〇端境期となった週末
3月2週目の最後の金曜日。今週も授業は終わり〜!
だけど、来週以降どうなるのか、いつオンライン授業が始まるのか、まだわからない。とりあえず、次の月曜日(3月16日)は学校まで来てねってことでした。
実はこの週末、僕はコロナのことは心配しつつも、フランクフルト(ハイデルベルクから電車で2時間ほど)まで電車に乗って、知り合いと会いにまだ出かけていました。そしてこれが、遠出して知り合いに会うには最後のチャンスとなったのでした。
つまり、電車もまだ通常通り動いてはいた。
ただ、僕も消毒用アルコールを持ち歩いていたり、店員がお金の受け渡しを直接しないようになってきていた時期です。
(ちなみに僕の行っていた語学学校では、親切にも消毒用アルコールの携帯用ボトルを生徒に一人一本配っていたらしいのですが、なぜか僕はもらわなかった。なんでなんだ……)
また、毎年春にはハイデルベルクで一ヶ月ほどの間、素敵なコンサートシーズンが続くのですが、そのコンサートが主に開催される劇場も4月19日まで中止になることを知ったのも、3月13日の金曜日でした。まだその週には来週の演奏会に行きたいねと友人と話していたので、残念すぎる。(ただ、逆に言うとこの時まではまだあまりリスクに対する意識が薄いですよね……)
なお、バーデン=ヴュルテンベルク州のお隣、大都市ミュンヘンのあるバイエルン州では、イタリアでの感染拡大を受けて、3月の比較的早い段階から、コンサートホールやオペラの劇場などの人の集まる公共空間が次々と閉められていたそうです。バイエルン州は地理的にはイタリアに比較的近く、ドイツで最初の感染者が出たことで、他の州に先駆けてコロナ対策の措置を始めたという経緯があります。
ドイツでは、州ごとに状況が違い、対策や着手する時期も異なりますが、全体で足並みをそろえるための電話会議をしているそうです。
さて3月2週目、そしてその週末は、ハイデルベルクでも劇場や各映画館などの公共空間の閉鎖が決まったり、始まったり、そしてその後には都市と都市を結ぶ電車(ICE=Inter City Express)の本数が減らされるなど、日常とロックダウンの端境期となったのでした。
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次回予告
3月も後半のドイツ。
感染と不安の広まる中、第3週目の月曜日、永月さんは語学学校に行けるのか?
オンライン授業への移行、友人や留学生たちの急な帰国――そんな中、街の様子はどう変わったのか?
次回、ロックダウン下のハイデルベルク:コロナ危機下の一か月〈全編〉です。
更新待ってね★