駅前の売店でお兄さんの笑顔とともに、ベルギーっぽくワッフルを買った。
ワッフルを朝ごはんに、この日はゲントへ向かう。
ちなみにゲントに来た経緯はこちら:https://twitter.com/mit0919sahne/status/1146815020644179968?s=21
▼ゲントの聖ピーター駅はこんな感じ。
しかし、この謎のおじさん像、不気味なのになぜお姉さんたちが記念撮影を撮っていたのか、謎が謎を呼ぶのであった。。
▼スナップショット。自転車としての意味を失った自転車。
◆フランドル伯居城
さて、駅からトラムに乗って、フランドル伯居城のある中心地へ。
この古城は、1180年にフランドル伯のフィリップ・ダルダスによって作られたものだ。(ネットで拾った他の記事の方が詳しいので興味ある方はどうぞ→http://francekenbunroku.blogspot.com/2018/10/blog-post_90.html?m=1)
▲門の内側から外を見るとこんな感じ。枠構造の風景写真はかっこよくてよく撮る。
外観はこんな感じである。
水辺の城壁が美しい。
ここでは入場料を払って入れば、そのまま好きな言語のオーディオガイドを借りられる。
といっても日本語はないので、英語をチョイス。
ちなみに、ベルギーは一部地域ではドイツ語も話されるが、私が今回訪ねたルーヴェン、ゲント、アントウェルペン、フランドル、ブリュッセルでは、フランス語・オランダ語優勢で、英語も通じるという印象であった。
そのベルギーにいた間、オランダ語でわかった単語をメモしていたものがこちら↓
【英語-オランダ語-ドイツ語】
day-dag-Tag
Welcome-Welkom-Willkommen
Thank (you) -Bedankt-Danke (dir)
the world-de wereld-die Welt
great-groot-groß
オランダ語はちゃんと辞書を引いたこともないのだけど、こうして並べてみると英語・ドイツ語の中間的な言語だとよくわかる。
さて、お城の中を覗いてみよう。
▼古城の中は、こんな感じ
▼中世の武器が置いてあって歴史好きにはアツい。
▼フィリップのお妃がハープを弾いていた暖炉のある部屋。
▼城のてっぺんまで登った眺め。
▼地下に敵?を落としておく穴。下には出口も何もない石造りの空間が広がる。
▼ここは拷問部屋のよう。黴臭いにおいが充満しており、はるか昔にここで起きたであろうことを想像して、僕は気持ち悪くなった。中世の血生臭さを肌で感じた瞬間だった。
▼こんな壁際にトイレが。。!怖くないか。
▼チャペルと思しき広間。
古城探索はこれにてお終い。
解説は、終始フィリップとお妃のラブロマンスを強調していた感があったことに突っ込んでおきたい。
◆古城周辺を散策
▼お城裏の水辺のすぐ近くの建物の壁面には、こんなプレートがあった。オランダ語で書かれた記念碑だ。中央の四角いプレートは第一次世界大戦のもので、両脇の丸いのは第二次世界大戦のものだ。
オランダ語は全く勉強したことはなく、辞書すらまともに引いたことがないのだが、翻訳ツールを使ったりオランダ語のできる知り合いに聞いたりしたところ、おそらくこんな感じのことが書かれている。
・Hulde aan dnze helden 私たちの英雄への賛辞
・Gesneuvelden 殺された(兵士)
・Opgeeischten 強制労働者(ドイツでの労働のために送還され、そこで亡くなった)(兵士)
・Burgerlyk(Burgerlijk)Slachtoffe 民間人犠牲者
Huldeとは、「賛辞」ないし英語で言えばTributeに当たる単語のよう。第一次世界大戦時の犠牲者を、当時悼むと同時に英雄化をもしている様子が見て取れた。また、民間人も一緒に記念しているのは特徴的に思われる。
▼真ん中の家のような、四角を積み重ねた三角屋根をベルギーではよく見かける。可愛らしい。
お昼ご飯は、歩いてたまたま見つけたペルシア料理屋さんに入ってみた。
ナスとトマトのペルシャ煮込みKhoresh Bademjan と、サフランライス。美味しかった。
◆街の中心
この日はフェスをやっていて、出店が並んで人も賑わっていた。
そんな様子を見ながら街の中心の方へ歩く。
今年のヨーロッパはたいへんな猛暑で、天気予報を見ると毎日40度近い気温だ。
途中でフローズン・アイスを食べた。今回のヨーロッパ訪問で最初のアイス🍨😋
聖ミヒャエル橋を渡ると、遠くからも見える大きな建物まで到着。
◯まずは聖ニコラス教会(St. Niklaaskerk)
犬を象ったようなドアのストッパー。
◯時計のある塔は、鐘楼と繊維ホール(Belfort ent Lakenhalle)
◯聖バーフ大聖堂(Sint Baafskathedraal)
ポスターにファン・エイクがここにいた!とあるように、ここはファン・エイクの祭壇画「神秘の仔羊」が見どころ。建物は入って見ていたのですが、しかし「神秘の仔羊」のスペースは別の部屋であることに気づいた時には閉まってる時間であった。。残念。今は修復中で、一部分ずつ見られるそうな。
聖ミヒャエル橋からは、これら三つの建造物が並んで見える。
◆民俗博物館とビールと音楽
そのあと街を歩いて、たまたま見かけた民俗学博物館Museum Voor Volkskunde House of Alijn へ。
オランダ語が分からず、わからないことも多かったのだが、一つめの建物は、煙草や目覚まし時計、コーヒーポットなど、テーマごとの展示だった。
▼ここは煙草に関する展示。(これ以外 写真を撮っていなかったのが残念だ。。)
二つめの建物のドアを抜けると、目の前にクリスマスのインスタレーション映像が流れており、ベルギーの人びとがどのようにクリスマスを祝って、あるいは過ごしてきたのか、情感的にクリスマスの展示へと誘われる。
面白いのは、12月のクリスマスから始まり、一年の経過に沿って展示が進むところだ。一年経過に合わせて、時候や特定のイベントがテーマとなって人びとの生活様式に関する主にモノの展示がされる。
ちなみに展示の正確な時代がよくわからなかったのだが、おそらく(もしかしたら20世紀くらい〜?)戦後から8-90年代くらい?の印象だった。確実に歴史区分で言うところの「現代」だけど、特に携帯電話やスマートフォンの使われるようになった「最近」ではなかった。
ちなみに今度の10月から来年4月までの特別展で、今はないベルギーの徴兵制における体験を扱うらしく、それの時代は20世紀のようなので、多分この博物館の主眼は20世紀なんじゃないかと思う。この展示、めちゃくちゃ気になるな。(http://huisvanalijn.be/nl/actueel)
香りも展示があったのが珍しかった。夏の時期には海水浴に関する展示があって、サンクリームの香りが強烈に印象に残っており、めちゃくちゃエモかった。
人の生々しい生活の香りのする展示が、クリスマスから、新年、子どもの誕生、引っ越し、休日の過ごし方、新学期……こんな調子で続いていて、見るに見切れなかった。
ちなみに、その場で写真を撮って印刷してくれる機械があって、簡単なメッセージを書いて貼る掲示板コーナーがあったので、足跡を残してきた。
ベルギーに行った際は探してみてほしい。
博物館を出ると、建物は庭を囲むように並んでおり、その庭はビアガーデンになっていた。
というわけで白ビールを。
ビアガーデンでは楽器の演奏をバックにボーカルのお姉さんが歌う演奏をしており、音楽を楽しめたので、これだけでフェスのゲントを満喫できた。
◆川とコーンレイ・グラスレイ
博物館の裏に並ぶ建物もこんなに綺麗。
ゲントには川が流れているが、街を歩いているとよく観光客を載せたボートも流れていく。
ビールを飲んだところで、せっかくなので乗ろうという気になって、乗ってみた。
川の両サイドがそれぞれコーンレイ、グラスレイと呼ばれるスポットは、レストランが並び、フェスの会場になっていた。
夕暮れから夜景の時間帯、川辺のゲントを撮りたかったが、こちらは7月末には9時を過ぎてもまだまだ明るく、陽が落ちるのは10時近くなってから。
流石に遅くなってしまうので、そろそろ帰ることにした。
帰る前に、ご飯を食べる。
出店のパスタ屋さんでボロネーゼパスタを買ってみた。
お腹が空いていたので、サイズを聞かれてスモールではなくミディアムを頼んだが、作っているのを見ていて失敗を悟った。
見て、あり得ん量のパスタ。
フェスでドゥンドゥクしながら大量のパスタをもくもくと食べたあと、トラムに乗って駅まで行き、ゲントを後にした。
◆車内から見た「社会」
電車に乗ると、フェス帰りの時間であるため混雑しており、僕は入り口から一番近くの席の島(対面している4席)の前に立っていた。お父さんの膝の上に座る小さな娘さんが、僕の鞄に下がるくまのパディントンに興味を示したのをきっかけに、父娘とアイコンタクトや簡単な会話でコミュニケーションをとっていた。
車内は混雑してみんな疲れてイライラしている人も多かっただろう中、他の乗客同士でちょっとしたいざこざが起こった。
おそらくフランス語だったので何を言っていたのかわからなかったが、ある人の手が出そうになりかけたので同じ車両は騒然となった。
しかし、周囲の人たちがそれを止めたし、何か喋って手を出しかけた人を説得していて、そういった社会性があるのが認められた。(日本だったら例えば新幹線や電車内で喧嘩があっても周囲の乗客はスルーするのではないだろうか、というのが想像できる)
ちなみに僕は、その喧嘩のまさに当事者たちの間に位置的にいたのでビビっていた。
近くにいたお父さんが、娘さんに、それが見えないように目を隠すようにしていたのを覚えている。
お父さんはあとで僕に席を譲ってくれて、廊下を挟んで向かいの席のご家族と一緒にいた。
この一件である記事を思い出して考えたのは、「社会」の捉え方についてである。
ヨーロッパに発つ前、6月の終わりに『ビッグイシュー』(日本版361号)という雑誌を買った。ビッグイシューとは、ホームレス支援に取り組む会社であり、販売している雑誌名である。
ホームレスの方が路上でその雑誌を販売することで、彼らは仕事と売り上げの半分を得ることができる。ビッグイシューのことを知ってからは、駅前でよく販売しているので、見かけたら買うようにしている。内容も面白いし、表紙も可愛いねこちゃんの時もあってなかなか良い買い物だと思っている。
買った号の特集は「生きやすくなる方法」で、特に印象に残っているのが、鴻上尚史さんの記事だった。(http://bigissue-online.jp/archives/1074954454.html)
雑誌を読んだのは2ヶ月程前の上、手元にもないので一度読んだだけの記憶を頼りにした紹介になるが、当該記事では、日本における「社会」のあり方について考察している。
日本には「世間」と「社会」の二つがあり、ふつう日本の人は「世間」に生きているという。「世間」とは、自分と顔見知りだったり、関わりのある団体や組織などの範囲のこと、だったと思う。
日本に対して、例えばヨーロッパを念頭に置いていたように思うが、外国における「社会」は多くの場合、もともと顔見知りでなくても、電車やお店などで居合わせただけの人々も互いに社会の構成員であり、一員だと認めているという。だから、エレベーターの中でたまたま乗り合わせただけの人でも挨拶や世間話をすることが多いと。
それに対して日本では、「世間」で生きること(人)が多いから、「世間体」を気にしたり、世間の中では他人に親切にしても、その一方で「社会」の人は自分と関係ないと捉えがちであるため、社会での人との助け合いやつながりが希薄になってしまう、ということであった。
僕の印象における現在の日本での社会福祉や社会参加への意識の希薄や、「自己責任」論が堂々と闊歩してしまうようなその重要性の認知度(理解度)の低さについても、
あるいは個人的な経験から、僕にとってはとても狭い「世間」であった、中学や高校を思い出しても、腑に落ちる説明だった。
僕の経験では、中学や高校でのグループ化は凄まじいものがあって、高校ではもはやクラスにほとんど友達がいないように感じていた。
そこにはよりミクロな世界があって、クラスの中のグループが「世間」で、クラスや学校が「社会」だった。学校というミクロな単位の中ですら「世間」と「社会」の違いがはっきりあったように思い出せる。
一体験ではあるが、こういう世間感覚の延長に日本の「世間」と「社会」の在り方があると思うと、個人的にはよくわかる例えだ。
「社会」についての話が長くなったが、そんな感じで車内の喧嘩にちゃんと仲裁が入るのも、喧嘩の行方を乗客が見守っているのについても、“ああここには「社会」があるんだな“と感じたのだった。
一応、車内のいざこざは手が出そうになったタイミングがピークで、それ以上の大ごとにはならなかったから良かったものの、みんなフェス後で人も多くてとても疲れている雰囲気だった。
ちなみに僕も疲れて途中ブリュッセルで電車が止まってる時に寝ていて、ふと目が覚めた時に前の男の子たちに「ここルーヴェン?」と(英語で)聞いて、Yesと言うので降りたらまだブリュッセルだったんだが、どういうことだ。そんなに発音悪かったのか。。しかも降りた途端にずっと止まっていた電車が出発するという。。
とはいえ、後続の電車はすぐ来たし、打って変わってガラガラだったので、むしろ快適だったので良かった。
この日はハッピーエンドである。