※注意※ネタバレありです。ネタバレされたくない方は先に視聴してから読んでみてください。
第5話「サンメリーダの鴞(ふくろう)」を見て。
今までのOVAの各話の中でも、第5話「サンメリーダの鴞」は、(僕にとって)ストーリーもずば抜けて素晴らしく、情緒溢れる回だったので、レビュー記事を書きたくなった。本当に、間違いなく傑作。
(ほかにこれまでで特に良かったシーンといえば、第3話の終盤、麻薬に脳みそが溶けるブラック・ジャックと、その難所を切り抜ける描写……。)
OVAは原作を元にしたオリジナル作品だそうだが、原作に似たシチュエーションがあるとすれば、たしか、教会の神父が、瀕死の(あるいは死んだ?)女性から赤ん坊に脳みそをスプーンで掬って移した話があったような気がする。(*Youtubeの動画概要欄を見たら、インスパイアを受けたのは原作の「過ぎさりし一瞬」だそう。過去に読んだことはあるが、この記事を書くに当たっては未確認。)
ラストシーンの諦めに寂しさが混じったようなブラック・ジャックの表情を見て、この話は「孤独」がテーマだったか…...という読後感とともにエンディングテーマを聴いた。
しかし、OVAはテーマソングも激アツだ。とくにオープニングテーマ「記憶の君へ」は孤独を歌っていたので、この記事を書くために見直したらとてもエモかった。
レスリーの孤独
冒頭は、夢に怯える青年レスリーの診察室での独白から始まる。
「怖い夢ばかり見るんだ……
それに、とてつもなく大きな孤独感がいつも襲いかかってくる。わかりますか先生、不安や孤独感というのは、僕にとっては犬や猫のように、現実の存在なんです。わかりますか、孤独ってやつがこの手で触れるほどの寒々しい精神状態が!」
そう切実に訴えるレスリーに、そっけなく安定剤の処方を言い渡し、追い払う医師。その対応を受けて、レスリーは言い捨てる。
「神なんて、この世にはいやしねえさ」
これはレスリーの孤独。不安のまま、誰も助けてくれない、理解してくれないという孤独。しかし、物語の終盤、夢の正体がわかったことで、その孤独は安心感に変わることとなる。さらに冒頭レスリーがそんなものいやしないと言い放った「神の存在」も、この話のキーとなるのである。
ブラック・ジャックの孤独
たしかこれは、例のベースになっているであろう原作「過ぎさりし一瞬」に出てきたところかもしれないが、この物語はブラック・ジャックの孤独の物語でもある。
この話は、珍しく患者の依頼ありきではなく、ブラック・ジャック自身の意志で物語が進む回だ。赤ん坊だったレスリーに天才的な手術を敢行した医師に会いたいというブラック・ジャックの想いが物語を進める動機であり、その想いは孤独が生んだものであろう。孤独だからこそ、同じ境遇の、あるいは自分以上の孤高の天才医師に会いたいと思ったのだ。
しかし、ブラック・ジャックは自身の手でその医師を瀕死の怪我から救うことはできず、結局彼の手術の様子をその目で見ることは叶わなかった。
一人で患者の大怪我と戦い、しかし、その努力も虚しく結局ブラック・ジャックの孤独は満たされぬまま……ものすごく、孤独なシーンだ。ラストシーンでは、孤独な一人の医者に寄り添うピノコの存在もまた大きく感じることができる。
また、そんなブラック・ジャックが神にも縋りたくなったというモノローグも、あまりに強い孤独感と、医療という常に命と向き合わねばらならない限界的な生業を務めることの重さを照射しているように感じる。
エルネストの孤独
また、ブラック・ジャックが救えなかった、レスリーに手術を施した医師・エルネストもまた孤独の人である。彼は、27年間も地下で一人、人を救い続けた医者だ。いや、見方によっては、孤独ではないと言えるのかもしれない。彼はもう何年も普段人とは話すことはないが、それは、死んだサンメリーダの住人たちのたましいと会話しているからだ。
◆
ひとたびの正体を突き止めたことで、不安と孤独が一人ではないという安心感に変わったレスリー。
孤独のまま、孤高の天才医師であり続けるブラック・ジャック。
死んだ者たちと対話し続けたエルネスト。
この物語は、各人の孤独のあり方を描くことで、「孤独とは何か」を問うているのかもしれない。
★他の見どころ★
ピノコの役回りとナレーション
台詞とはまた違った声音がいいし、ちょっと大人っぽいピノコという感じがする。
この回のピノコの役回りは、ナレーションも含めて非常に大きい。
ピノコにレスリーともブラック・ジャックともつながりを持たせることで、ピノコは物語の展開の潤滑油としての役割を実に見事に果たしている。(これまでの各話のピノコの存在感のなさと比べたら大違いだよ……)
サンメリーダの子守唄
このちょっとした挿入歌が物語の文字通り鍵となっていて、その後の展開を開くものとなっている。歌自体の完成度が素晴らしく高く、その抒情的なメロディはサスペンスの強烈なスパイスとなっている。
サンメリーダという舞台装置/教会の神父
内戦の激戦区だったというサンメリーダは、舞台装置として物語の悲劇性を高める。
また、教会の神父は、見る者に一度「裏切った」「悪者だったのか」と思わせておいて、彼自身も政府軍に裏切られ、その政府軍の独裁的・軍事的な態度を民主主義の名の下に非難する姿は、実はそう簡単に善悪で物事を割り切れるものではないということを物語っている。
このサンメリーダという舞台の悲劇性だけでなく、その政治性はリアリティを高め、この物語を面白くしていると思える。
★
サスペンスの展開も、各キャラクターの立ち回りも、一瞬の隙も無駄もない、ほとんど完璧な傑作。
というわけで、この話は本当に素晴らしくて大好きです。
よかったら皆さんもご視聴あれ。
日記とレビューの過去記事
→これを読んで、コンテンポラリーダンスとバレエに興味を持った。
◆『マイ・ブロークン・マリコ』:生まれを選べないことの暴力性
→ボロ泣きした思い出。
やっていることが古のインターネット職人ですが、よろしければ。