世間はクリスマスイブ。夜空には煌めくイルミネーション。
僕はといえは、新橋の雑居ビルに閉じ込められていた——。
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この日、僕はとある二つのギャラリーに行くことにした。
ひとつめに、西荻窪のstudio Teというギャラリーの個展を訪れた。西荻窪にはよくいるけども、こちらのギャラリーを訪れるのは初めてで、周辺をすこし彷徨った末に、見つけたのは赤い籠と木々の茂みに続く道。
ちょっとワクワクしながら小道へ分け入ると、素敵な灯りの灯った空間へ繋がっていた。
ドキドキしながらドアを開けると、高い天井と浮かんだランプ、そしてランプを作った造形作家のsionさんやギャラリーのオーナーさんが出迎えてくれた。
ランプの展示はそれ自体が隠れ家みたいなあたたかい空間を作るなか、赤ワインとお料理をいただくことに。
初めて来たのにオープンでフレンドリーで、展示だけではなくなんて素敵な空間なんだ。
そして手作りの料理がものすごく美味しいのだった。
gemütlichな空間——
という言葉が頭にふと浮かんだ。
ドイツ語で、居心地の良い、という意味の言葉。
それはぴったりな表現に思え、gemütmich、と口の中で静かに繰り返しながら、ずっと眺めていたかった。
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ドイツ語のgemütlich という言葉がぴったりくるほどに居心地が良過ぎて、西荻窪のstudio Teには思っていたよりも長居してしまったのだが、じつはこの日、もうひとつ最終日を迎える個展へ行きたかったのだ。
18時頃に西荻窪を出ると、電車で目的地の新橋へ着くには、うまく乗り継ぎできても18時半過ぎだろう。ギャラリーの時間は19時までだ。
一瞬、行くべきか迷う。
それでも、少しでも作品が見られれば嬉しいし、まあいっか。別にもともと何の予定もないのだし、と思い直し、新橋へ向かうことにした。
クリスマスだろうが予定がなければ失うものもない。
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新橋に着き、目的のギャラリーがあるらしいビルの前まで来た。一階に入るドトールの店員さんにどこから登るのか聞き、ほとんど終わりかけの時間にやっとギャラリーまで辿り着く。
ドアを開けると鳥の鳴き声がぴよぴよと鳴き、ギャラリーのオーナーが、終わる前に来れて良かったねと迎えてくれた。オーナーは白髪の素敵なおばあさまだ。
こちらの閑々居では、ビルの小さな一室ながら水屋もあって、茶道もできるようなちょっとしたお茶室の壁には棚が付いていて、その棚や、畳の上に置かれた机にお茶碗などの作品が並べられていた。
「もう片付けようかと思ってたの」と言ってオーナーの指す方を見ると器がこまごまと畳の上に広げられている。
ようやく最終日も終わりになったので自分がどれを買おうか迷ってるんだけど、この花瓶なんてどうかしら?と言うオーナー。
その花瓶は土のような質感のままの胴体に、口から肩の周り、胴を飛ばして足にはつるつるの釉薬と紫がつけられている。そしてオーナーが可愛いという緑色の蓋つきだ。
オーナーは飲み物を入れて出すのにも良いなあとにこにこして見せてくれた。
こうして畳の上で焼き物を見るとき、拝見の仕方が仕草に出るので茶道をやっていて良かったなと思う。
今回来た個展は、陶芸家の苧坂恒治さんの作陶展だ。
じつは以前、函館に行ったとき、会いに行った方に苧坂さんの工房へ連れて行ってもらった縁があったのだ。
苧坂さんはお茶碗や湯呑み、コップやお皿をはじめ、ほかにもいろいろなものを焼き物で作っていて、その作品は一色ごとに何度も焼いて作る手書きの模様や絵が印象的だ。
今回の個展の作品では、年末でもうすぐお正月ということあるだろう。白に赤を基調とした配色のものや、山、太陽、鳥などおめでたい柄のものも多く、大皿などはとくに立派で素敵に見えた。
さらにオーナーは今回の展示では良いアイディアを思い付いたという。
前に、急いでいて電車のドアに挟んで焼き物を割った人があったので、包装用に林檎を包むアレを用意したそうだ。
「果物 包装」で検索して頼んだら、こんなに来たのよ、と言うので見ると、ソファの上にパッケージされた大量のその林檎の包みが乗っかっていた。
その包みに小さな湯のみを入れたりして見せてくれた。
プレゼント用に買われるお客さんには、これに包んでリボンで結んだりしたの、とオーナーは言う。
そんな不思議な見た目に包まれた器も、そう言うオーナーも可愛い。
例の花瓶も包んでみると、これまた素敵な面白さになって、それがぴったり入ったことにオーナーは喜んでいた。
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ギャラリーの終わる時間もすっかり忘れて、オーナーはいろんな話をしてくれた。
聞いたうちでもいくつか印象的なエピソードがあった。
一つは、20年ほど前、オーナーのおじさんは80歳を過ぎたころになって、つるつるの頭を撫でながら、何でおじさんには髪の毛がないのかをぽつりぽつりと話しはじめたという。
それはおじさんが第二次世界大戦時、南京へ陸軍兵として行った時の話だった。
日本軍が攻め入った南京では死体が広がっていたが、戦車はその土地の死体の上を進んだのだと言う。おじさんの髪の毛がなくなったのは、その時の恐怖のためだった。そしてその時おじさんは気がおかしくなってしまい、暴れるので戦地から日本へ返され生き残ったそう。
昭和20年5月、東京で空襲があったときおじさんは家族を連れて青山の墓地へ逃げ、そのときに正気へ戻ったという。
というのが、おじさんが話してくれたつるつるのわけだったそう。
この話は南京への加害の記憶としても、また親しい人のエピソードとしても聞くことで印象に残るものなのだなと感じた。
もう一つは、今は70過ぎのオーナーが小学校に上がる前のお話。あるとき、友だちが「アップルパイ」を食べたんだと自慢したことがあった。「アップルパイ」を食べたことのなかった6歳くらいのオーナーは、こういう「アップルパイ」っていう食べ物を友だちが食べたんだという話を両親にしたところ、両親は自分の子がアップルパイを食べたこともなかったことに目を丸くして驚いたらしい。この話は、戦前と戦後の日本の経済的な落差を象徴している。
そういうわけで、親が買ってきてくれたアップルパイを食べたことはオーナーの思い出に深く残っているそうだ。
ほかにもオーナーはこうも話していた。
このギャラリーではほとんどは絵画を展示しているのだが、最近では、身近だったり個人的なことを題材にした作品が多いという。それは何を意味するかというと、曰く「日本では歴史観が育っていない」と。
ちょっと抽象的な言い回しだったが、自分の立ち位置にはどのような背景があり、あるいは歴史がつながっているのかを理解している人が少ない、という意味で言っていたのではないかと思う。
だから、オーナーから見るとそうした巨視的(社会的、歴史的)なテーマを持った作品が近ごろ少ないということらしい。
実際に、文学やアニメーション、漫画などストーリーのある作品は、主観的な問題が中心となって世界や物語が動くセカイ系と言われるジャンルが近年登場しているところを鑑みると、そうした傾向は絵画などの作品にも現れているのかもしれない。
ちなみにわたしが大学院生だと話すと、立派な学者になってねと応援してもらった。
「立派な学者」になるかはわからないが、とりあえず目の前にある修論のためには手を尽くすし、塾講師としての社会科の授業では、社会や歴史とのつながりを実感できるような教え方をもっとしていきたいと思っている。
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他にもずいぶんと話を聞かせてもらっていたが、夜も遅くなったので帰ることにした。
さて、1階まで降りると、入ってきたビルの出入り口には格子状のシャッターが降ろされていた。
え……?
嘘でしょ、これはどうやって出るの……?
そういうわけで、クリスマスイブの新橋を人が忙しく歩くのを、閉じ込められた雑居ビルのシャッター越しに見つめながら、今日聞いたことや出会った人のに少しの間、思いを馳せていた。
と。さすがにこんなところで夜を明かす訳にはいかないので、オーナーのところまで戻ると、鍵を持ってきてシャッターを開けてくれた。防犯のために夜になると閉めるようになったそうな。
きっとわたしは今後アップルパイを食べるとき、オーナーと会ったこと、聞いたことを思い出すだろう。
そんなことを予感しながらわたしは無事に帰路に着いた。
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予定がなければ失うものもない。
予定はなくても新しい出会いはある。
そんな2018年のクリスマスイブだった。
おわり。