九月の断章

日々の研究や日常から感じたり考えたりしたことを綴っています。

ドイツからの帰国、そして東京で隔離生活へ:コロナ危機下の一ヶ月〈後編〉

2020年、まさかこんなことになろうとは——そう誰もが思っていることかと思いますが、感染の拡大するなか、僕はロックダウンされたドイツに3月末まで滞在していました。

現在は帰国し、その後14日間の要請された自宅隔離期間を終えたところです。

 

ドイツでロックダウンの始まった3月後半から、帰国者として隔離させられていた日本での4月前半までで、一ヶ月が経ったころ、「コロナ危機下の一ヶ月」と題してブログにまとめて記すべく記事シリーズを書き始めました。前回からだいぶ間が開いてしまいましたが、最終回となる今回の記事ではフライトや検疫、そして日本での隔離期間の生活について書いていきます。

 

(*前編となる「ロックダウン下のハイデルベルク:コロナ危機下の一ヶ月〈3月編〉 - 九月の断章」はこちらです。)

(*かなり記憶に頼って書いているので、間違っている記述や、より詳細なソースなどありましたら、教えていただけると幸いです。) 

 

 

★ドイツから日本へのフライト

 

僕はもともと帰国を予定していた3月末の日程をわざわざ変えることなく、のんきに滞在期間の最後となる3月後半2週間を過ごしていました。

3月に入ったころには、”もうすぐ帰国か。早かったな”と思っていたのですが、3月の半ばになると、日本の指定する危険度がドイツは2にあがったことを受けて周囲の留学中やワーホリ中の友人たちがつぎつぎと帰国し始める緊急事態のなかで、むしろ自分の帰国が遅いように感じ、またイベントや出かけることもなくなったので最後の2週間がとても長く感じていました。

帰国に際してとくに直行便だったために、(例えば中国や韓国など、欧州に比べてより早い段階で入国が制限されたり14日間の待機が要請されていたような地域を乗り換えで経由しないので、)キャンセルを考えるとか欠航になったとかのトラブルもなく予定の日を待っていたのですが、出発予定日の4日前、26日にフライトが欠航になる連絡をもらいました。

もともと、ちょうどその時期にドイツの他の都市に滞在していた友人Mと、予定を合わせて帰ろうかと話していたので、その友人Mに相談してまだフライトやってる、かつ、その当時はまだ乗り継ぎが危険度の低い地域だということで、カタール航空を使って、同じ予定日に帰ることにしました。

ちなみに、帰国の予定日を変えなかったのは、こだわっているという訳でもなく、ただ単に変更の必要性をほとんど感じなかったからです。全部オンライン化するならドイツにいてもいいくらいでしたが、その時はまだ日本はそこまで外出制限が進んでいるわけでもなく、そのような思い切った判断もできない状況でした。また逆に、コロナ危機由来の帰らなきゃいけないプレッシャーも特になく、そんなに日本にも帰りたいという訳でもなかったです。ギリギリまでドイツにはいたいけど、できるなら帰るのは3月末までがいいかな、と。保険やビザの関係でも、帰国にちょうどいいタイミングだったのです。

 

そんななか、ついに来ました最後の日。

ドイツを発ったのは3月30日、日本に31日につく予定のフライトでした。

 

フランクフルト空港

 出発するフランクフルト空港はかなり大きな国際空港なので、感染リスクが心配でしたが、思っていた以上に(通常よりは)かなり人が少なかったです。

★手荷物検査に並ぶ列。間隔を開けるように指示されている。(上記ツイートの写真の図解)

 

しかも、手荷物検査やパスポートコントロールの列では、間隔をあけて並ばせられるので、指示に従ったり余計な距離を移動したり待ったりする分、時間がかかるんですよね。飛行機のゲートが開く40分くらい前に並び始めたのに、荷物の検査が終わったのはあとゲート開場まであと10分とかそのくらいギリギリで、しかも僕は警察まで呼ばれて楽器を調べられていました。その間に友人Mには先にゲートまで行ってもらっていて。

 

なんとか楽器も問題なく検査を抜けられることになってゲートに向かうと、途中で長い列が。え、もうゲートの開く時間になるのに、これに並ばなきゃいけないの?と訳がわからなくてその列の先へ向かって走るも、やはりこれは通らなくては進めないらしいことがわかりました。どうやらパスポートコントロールの列らしい。友人Mに電話したら、急いでるって言えば通してもらえるよ、とのことだったので、係のひとに言ったら、もっと早く来るようにしなよと小言を言われつつも、そこに並ぶようにと通してくれました。

それは有難いものの、いや、手荷物検査に時間かかりすぎだし、かかるのは仕方ないとしても、レーン少なすぎだし開ける対応も遅いから!とブチギレそうだったが、とっさにそれを言うだけの英語力がなかったのは残念でした……。(とりあえずドイツ語ではなく英語で話しかけていたので)しかし、その時前に並んでいた韓国人の青年が急いでる僕の様子を見て、先に通してくれたはとても嬉しかったです。

コントロールを通ったときにアナウンスが流れていて、おそらくそれは僕たちの乗る便の案内のようでした。今流れるってことは、まだゲートが開いていなかったんだろうと予想しつつもとりあえず急ぎ目で友人Mの待つゲートへ向かう。

ゲートに着くと、まだ開いていませんでした。ゲートまであまり遠くなかったのは助かりました。友人Mは、ドイツ人の友人と電話していて、僕が着いたのに気づいて「Wir sind geschafft!」(私たちやりきったよ!)と言った台詞が、やけに頭に残りました。ちょうど僕がゲートの前に着いてすぐにゲートが開き、僕たちは無事に飛行機にのることができたのでした。

 

機内

ドーハで乗り換えて、2本の飛行機に乗ったのだが、おそらくどちらも20人も乗っていなかっただろうと思います。そのくらい、機内はガラガラで、人と人との間隔の十分すぎるほどあり、快適でした。

 

ドイツにいることよりも、空港や機内での感染リスクのほうが怖いのではないかと思っていましたが、不要な渡航はおそらくみんなキャンセルしてしまった状況で、そうなると人も少なく間隔は十分開けられているので、あまり心配せずに搭乗することができました。

 

ちなみに、飛行機で見た映画は、「アナと雪の女王」1(ドイツ語視聴)と2(英語字幕・ドイツ語視聴)、「新聞記者」でした。

 

成田空港

 さて、3月31日、17時半過ぎころ、成田空港へ到着。

ドイツからの帰国者はPCR検査されることになっていたので、検疫所へ通されることとなりました。

ドイツですでに、ほとんど人と会ったり、密集することのない生活を2週間ほど送ってからの今回のフライト・帰国だったので、この検疫での状況はかなり不安になるものでした。

まず、検疫所の列に並ぶ際に、間隔を開けるような誘導もなければ、検疫所のスペース内でも、会議室一室に人が20人ほど入っているくらいの人口密度で、対して間隔を開けられないところに4時間以上待たされていました。

 

しかも、現場の検疫官の方々も大変そうだったとは思いますが、そもそも段取りが悪く、説明も不十分だったのが、待機者をとても不安に、あるいはイライラさせていたと思います。

段取りというのは、書類を書いてから検査に移るまでの流れとか、待ち時間の説明が全くないとか、書かせている書類が足りないとか、それぞれの列の並ばせ方を検疫官たちが把握してなくて混乱しているとか。

混乱しているのは待機者のほうよ。

 

しかし、検疫や待機は強制ではないので、必要な資金が援助されることはなく、帰宅手段や自宅待機については、実はグレーな返答・対応がされることもしばしばだったようです。(見聞きした範囲で。)

見た範囲では、お金がないからという理由で電車か何かで、結果が出るまでの待機場所(*以下で説明。私が待った場所)で待たずにすぐ検疫所から帰った人もいました。

公共交通機関を使うなとも「要請」されていたので、それを厳守して帰るには、頼れる知人や家族がいなければ、レンタカーやハイヤーを使うしかありませんが、地方出身者やお金のない人には、ツテとしても資金的にも厳しい状況だったのは間違いないと思います。

 

検疫を抜けたのは21時を過ぎてから。

この頃(私の帰国したころ)にはちょうど、PCR検査の結果がその日のうちには出ないほど混んで時間がかかる状況だったので、さすがに検疫所で一晩~数日待たされるのではなく、政府がホテルを借り上げて待機場所を用意するようになっていました。待機場所が準備される前には、検査の結果待ちのために、その場で雑魚寝したという話もSNSで見かけました。

というわけで、幸いなことに雑魚寝はせずに自衛隊提供のバスで待機場所まで連れていかれることになりました。

 

 

PCR検査待ち待機

私たちの場合のPCR検査の結果待ちについては、1日待っても結果が出なくて、結果を伝えるのはその次の日の朝になってしまうというと聞いていました。なので待機場所には2泊し、3日目の朝に部屋に電話が来て、その日の午前からお昼くらいには、各自なんとか用意したレンタカーや出してもらう車で帰るというスケジュールとなりました。

22時前には待機場所に到着し、結果待ちのスケジュールや、待機場所での過ごし方について簡単な説明を受け、その後入室。

検温器や、毎食の食事や水も提供されて、Wi-Fiも飛んでおり部屋にはテレビもあって、基本的には不自由のない生活が遅れます。

しかし、すぐに気づきました。この狭い空間から出られないことがいかに不自由であり、ストレスであるかに……!

旅の疲れもあるので、基本的には寝たりのんびりできましたが、あれ以上続くのは精神的にきつかったと思います。

(その後、日本でも感染拡大してくると、感染しても症状の軽いひとはホテル療養する流れが出てましたが、確実に精神的・身体的に辛そうだと思いました。)

 

帰国して3日目の朝(4月2日)には、検査の結果が陰性だと連絡をもらい、その待機場所を脱することができました。

 

★4月前半

お互いに感染リスクのある実家には帰らず、東京の一人暮らしの部屋に帰還しました。

久しぶりの日本、東京での生活。自宅待機中でもそれなりに楽しく過ごしました。

というのも、以下のツイートは重要です。

 

 

基本的には隔離生活を14日間行いましたが、生命維持に必要な買い出し、散歩程度の外出はお墨付きでしておりました。マスクもしているし、消毒用アルコールも持ち歩いて何かに触ったら必ず消毒していました。

 

桜の最後の季節だったので、散歩はいつも、とても癒しになりました。

 

 

 

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桜。もう散りかけの葉桜かな。

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水鏡に映える桜。

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近所のレモンの木。

 

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帰り道のヒメコブシの花。

 

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この日(4月4日)は、春うららかな暖かいお出かけ日和でした。

 

東京、ドイツとのギャップ:スーパーや公園でのソーシャルディスタンス

しかし、成田での検疫所で感じたような、いわゆる「密」な状況に、やはりドイツでのロックダウンとのギャップがあって、外出時にはかなり不安も感じていました。

 

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4月4日、帰ってきて最初の、文字通り自炊したご飯です。

買ってきたお米で炊いたご飯。

何より、大葉のおいしさ、フレッシュさに感動しました。 

ドイツでも、日本食料理屋さんはあるし、寿司は何度か、悪くないものを食べる機会があったんですが、やっぱり生魚で大事なのは鮮度だけじゃなく、薬味との組み合わせがたまらないのね。。

 

さて、検疫所の列よりも、正直スーパーでの混雑とレジ待ちの列のほうが酷かったです。

しかも、一般に検査はほとんどされていないので、だれが無症状の感染者なのかわからない状況で、これだけ混雑している空間にいるというのは、かなり不安、恐怖でした。

新大学生が上京して2回スーパーに行っただけでコロナらしき症状が出て、検査もしてくれないので不安だというツイートを見ましたが、ほんとうに東京で2回スーパー行っただけでコロナ感染なんて、余裕であり得ると思いました。

 

あと、道を歩いていて、いくら自分が注意して他の人から距離をとろうとしても、みなさんあまり距離を取ってくれないんですよね。

とくに怖かったのは公園を通るときに、公園でジョギングしてる人が、後ろからすごく近い距離で走り抜けていった瞬間でした。ウィルスを飛ばすような激しい呼気は、くしゃみやせきだけでなく、運動している人の荒い呼吸もそうであるとわかっています。後ろから走って近づいてくる人を、なかなか避けようがないじゃないですか。運動している呼吸はウィルス感染しうるということを知らないのかわかりませんが、とにかく運動する人は気を付けてほしいと思いました……。

 

また、買い物に行くと、いつもスーパーにはトイレットペーパーやマスクはすぐ売り切れだったり、「おひとり様〇点まで」と書いた張り紙なんかがありました。石鹸も、一番手ごろな値段のものは売り切れていたり。

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4月4日。ドラッグストアにて、マスク入荷未定のお知らせ。

幸い、私はマスクは箱で自宅にあり、マスク不足で困ることはありませんでした。近年、花粉症気味でよかった……(?)。

 

余談ですが、マスク不足で手作りマスクが流行っていたと思いますが、4月の後半ころ(時系列的には、隔離期間後)には祖母から、祖母の手作りマスクとアルコールウェットティッシュやお菓子を送ってもらいました(写真左)。そのあともう一度、購入した手作りマスクも(写真右)。

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そういえばマスクと言えば、例の国策布マスクですが、東京のこちらの自宅には5月中には届いていました。しかし、千葉の実家には、いまだに届きませんね。。。

 

また、帰国してしばらくはストックで保っていたトイレットペーパーが、隔離期間が終わるころになると、なくなりそうになっていました。

これはまずいということで、Amazonでポチろうとしたのですが、シングルのトイレットペーパーが1000円近くもして。もし今買いに行ってもなかったら1000円のトイレットペーパーを買おう、と覚悟を決めて、4月13日の深夜にディスカウントストアに行ってみたのですが……。行ったタイミングが悪かったかもしれませんが、なかったんですよね。絶望しましたが、もうAmazonで1000円近いトイレットペーパーをポチるしかありませんでした。しかも深夜のディスカウントストアでは、消毒用アルコールを見つけて、あ、今これあるんだ!と、買ったほうがいいかなと思い、2000円近い値で買いました。それが小さい入れ物だったらさすがに買わなかったと思いますが、500mlくらいの大容量だったので、例えばフランクフルト空港で見たような10ユーロもする小さな容器のアルコールと比べたら、ましにも見えたかもしれません。トイレットペーパーはともかく、今から思えばアルコールはしなくてもいい買い物だったのですが、その時はコロナ危機下の生活で、必要なモノが必要な時に手に入らない、という恐怖に実際に直面していたんですね。

 

東京、緊急事態宣言へ

ちょうど帰ってきたころが日本ではパンデミック直前で、感染拡大のピークをその後迎えることとなりました。

東京に来て数日が経った、4月6日。交通機関の減便が検討するというニュースを目にし、Twitterで話題にしたりもしました。

また、休業要請するなら休業補償を、という話はずっとありましたが、その流れで政府への意見募集にコメントする人なんかも多かったように思います。

 

そしてその翌日、4月7日の夜に、緊急事態宣言が出されました。

前回記事で出てきた一緒にフライトした友人、その人と隔離期間後に会う機会があって、その時に話したことですが、”ドイツと日本でパンデミックを2回体験しているようだ”と。3月末だとまだわからなかったことですが、大学はどこもオンライン授業になったので、実質どこにいても授業は受講可能。日本に帰ってきた意味があるかっていうとそこまでないとも言えるんですよね。生活リズムやお金の問題はありますが。そういう話をしました。

そういうことで、ドイツでのロックダウンを体験し、その後3月末に帰国、4月に入ったら1週間で緊急事態宣言が出され、結局5月まで続いたと。こういうスケジュールを過ごすことになりました。

 

緊急事態宣言が出されたにも拘わらず人出が多いとして、某吉祥寺がよく槍玉に挙げられていましたが、僕がおとずれたと訪れた時には大抵密集しているというほどではないが、商店街の道路はやはり同時に10人も歩けば距離が取りづらい程度で、不必要な外出や遊びに来てるというよりは、仕事帰りや買い出しの人なんだろうなーという印象でした。

以下、吉祥寺の様子です。

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4月6日。緊急事態宣言が出される前夜。

この後の写真に比べると、やはりまだ人出が多いように見えます。

 

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4月8日。緊急事態宣言から一日。

急に休業や在宅勤務、という訳にもいかないのでしょう、仕事帰りの人が多く見受けられます。

(あ、ちなみにこの日に、読んだ漫画についてこんなレビューと日記を書いています。

こちらから→どちらかと云うと只の日常。 — 日記とレビュー『マイ・ブロークン・マリコ』:生まれを選べないことの暴力性

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4月12日。

このころになると、多くのお店が閉まっていますね。

 

ちなみに、2020年夏のオリンピックを、コロナでもやるとだいぶ粘って、ようやく1年の延期が――それでも中止ではなくて、延期で、まだやろうとしているみたいですが――決まったのが3月24日ですが、私が東京に帰ってきたら、まだずっと街に東京オリンピックの飾りなんかがしてあるのが滑稽に見えるんですね。まあ、装飾を取り外す作業にも、感染リスクはあるわけで、急ぐ必要はないのですが、街に取り残されているのがこの国のコロナ危機とそれへの対応を象徴しているように見えるというか。

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4月6日。都内某所のスーパー。オリンピックデザインのTシャツ。

 

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4月23日。都内某所の街灯。オリンピックの旗。

――というように、日本に帰ってきても、コロナ危機はまだまだ続く状況でした。

 

住民票&在外選挙名簿からの移動問題

あとは、こんな疑問も。

 

役所での用事に関しては、自宅待機優先したほうがよさそう&問題ない、というリプライをいただいたので、結局役所に行くのは隔離期間後にしました。ちょうどこのころ、一定の水準以下の所得の人には、30万円が支給されるということで、その手続きで役所が混んでいるであろう時期でもありました。

ただ、日本への住民票移動を先延ばしにしてしまったために、その後決まった10万円の給付がもらえるかもらえないかの瀬戸際に、じつは今立たされています……。本来もらえるとは思うのですが、その確認を取りたくても給付金の電話窓口が混雑しすぎてて、電話つながらないんですよね。(現在そんな5月です。)

ちなみに、私は選挙権を在外に移すために、わざわざ日本から住民票を抜いたりしていました。短期間の海外滞在では、そこまでする必要も、ひともあまりいないようですが、手続きの流れや制度を知るにはいい機会となりました。在外選挙の名簿に登録されるというのは、海外にいる=住民票がないため、地方選挙以外、つまり国政選挙だけに参加できます。また、再び日本へ住民票を入れると、3か月後にその地方選挙に参加できるようになります。それまでの間は、在外選挙人の扱いなので、日本にいても国政選挙にだけ参加できるそうです。

 

自宅隔離中の過ごし方

積読をさらに積む

料理や散歩やSNSだけでもそれなりに楽しい日々ではあるのですが、コロナ危機下っぽい過ごし方、楽しみ方も実践しておりました。

4月7日、ちょっと本屋さんまで出かけて、漫画を買い込んできました。

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4月7日。買ってきた漫画。

さきほど、紹介したTumblerの記事にもその話は書きました。(どちらかと云うと只の日常。 — 日記とレビュー『マイ・ブロークン・マリコ』:生まれを選べないことの暴力性

非常事態が宣言されることとなったその日、僕はドイツに出かけて以来屋外に置かれていたままの自転車を久しぶりに引っ張り出し、空気の抜けたまま必死に自転車屋まで辿り着いて空気入れをシュコシュコし、夕方、西荻の本屋で積読に積み重ねる漫画を買って帰った。

あー、こうやって読み返すと、この時の僕にしか書けない文章だなーって感じです。。

 

ちなみに、『ルポルタージュ』も、おすすめです。写真は続編のほう。最初のシリーズは以前に読んだのですが、セクシュアリティ流動性や、新時代の恋愛・結婚形態がテーマの作品です。

 

東京の家には自分の本棚があるので、読む(積んでる)本がたくさんあったのは幸いでした。もともと自分の空間だし、隔離期間でもやることは一人暮らしの日常とたいして変わらなくて過ごしやすかったです。

ただ、Wi-Fiがないのがきつかった……。人とのつながりやゼミ、娯楽がほとんどネットに頼ってしまう状況で。

大学が入構禁止になっているので、Wi-Fiが使えないだけでなく、研究室においてある本や資料を回収することができない状況が今も(5月以降もおそらくしばらくは)続くのが、大学院生には少し辛いところです。

書籍があれば何とかなるところはありつつも、研究領域によっては、インタビューやフィールドワークができないとか、理系なら実験ができないとか、いろいろ不便があるかなとも思います。 

 

リモート映画鑑賞会

自宅隔離期間の最終日である4月14日は、弟と映画をそれぞれ見つつ、リアルタイムで感想をチャットするという方法で映画鑑賞をしました。

「翔んで埼玉」、弟と遠隔実況しながら観ました。(LINEはネタバレ) 地域格差というか差別がテーマなので、実は読み込んでいくと深いんだろうけど、それ以前にネタが豊富すぎて突っ込みきれない。 Amazonプライム入ってるひとは無料で… https://t.co/WFqD5btdiT 

 

オンライン飲み会

オンライン飲み会が行われるようになりましたね。

僕は、買い物行くたびに、コロナビールを半ダース買ってくるようになりました。ストックとして。コロナビールおいしいですし、余力を消毒用アルコールの生産に回すのは応援したくなりました。

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4月4日。生産中止になったコロナビール

あと、隔離期間の終わった翌日の15日には、こういう企画を開かせてもらったりだとか。

 

おわりに

というわけで、この4月の半ばにこの「コロナ危機下の一か月」の記事シリーズを書き始め、最後の記事を書きあげるのにだいぶ間が開いてしまいましたが、ようやく書き終えることが、今、できそうです。

5月には終えたかったので、意地で書きました。笑

日本に帰ってからエモいなと思うようなシーンが多くてたくさん写真撮ってたので、写真多めに。我ながらいい写真が撮れているなと。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

 

 

2020年の5月、最後の日に。

永月いつか

ロックダウン下のハイデルベルク:コロナ危機下の一ヶ月〈3月編〉

2020年、まさかこんなことになろうとは——そう誰もが思っていることかと思いますが、感染の拡大するなか、僕はロックダウンされたドイツに3月末まで滞在していました。

現在は帰国し、その後14日間の要請された自宅隔離期間を終えたところです。

 

ドイツでロックダウンの始まった3月後半から、帰国者として隔離させられていた日本での4月前半までで、ちょうどほぼ一ヶ月が経ちました。 その期間を「コロナ危機下の一ヶ月」と題してブログにまとめて記すべく、今回の記事ではロックダウンの始まった3月後半のドイツ、とくに僕の滞在していた都市の様子について書いていきます。

 (*序章となる「コロナ危機下の一か月〈まで〉編」はこちらです)

(*かなり記憶に頼って書いているので、間違っている記述や、より詳細なソースなどありましたら、教えていただけると幸いです。) 

 

 

★3月後半:ロックダウン下のハイデルベルク

3月3週目

オンライン授業の決定

3月16日(月)は、語学学校側から言われていたように、通常通り登校。ただ、この日から教室は移動となり、いつもより広い空間で、机と机の距離も空いていました。いつもと違う距離感、雰囲気。また、授業中に事務の人がやってきて出席を取られるのは普段のことなのですが、この日はオンライン授業についての説明も行われ、質問はないかと念を押されました。

授業終わりの時点では、次の日もとりあえず登校するようにと聞いていたのですが、その日のうちにオンライン授業開始が決定されたことをメールで知らされ、これが最後の対面授業となりました。

授業続けるのは偉いし、あと州令の学校施設閉鎖の項目にも、~~試験等に不利益がないように、と明記されてるのには、こうした危機下においても教育の権利を尊重している姿勢が見えて感心しました。

そして翌日3月17日(火)から、zoomを使ったオンライン授業が始まりました。(ちなみに、zoomの使い方それ自体についての説明はなく、メールにリンクが添えられていただけです。……日本の大学の先生方はいろいろ学生に気を遣ったり授業準備を工夫しているみたいですが、この場合はそっけないですよね。まあ、語学学校の先生方の動きが僕からは見えないだけかもしれませんが)

 

実際、16日にはバーデン=ヴュルテンベルク州ではコロナウィルス対策に関する州令が出されており*1この日を境に街のロックダウンが始まったことを記憶しています。

この州令は、翌17日には防疫対策が改正されていますが*2、このころ出された新型コロナに対する新たな防疫措置とは、教育施設や市民大学を含む様々な施設の営業停止、幼稚園および全ての学校施設の閉鎖などを指すもので、基本的に3月17日から4月19日までとされていました。(*現在は状況が違いますので、最新情報はほかでチェックされたし。)当初の期限とされていた19日も、今となっては過ぎましたね……5月3日までは学校施設も含め基本的に閉鎖だそうです。

 

基本的にイベントや集会も禁止なので、この日からヨガ教室や、ホルンのアンサンブル会もなくなりました。

カフェやメンザの対応

まだこの日、カフェに友人たちと集まったり、そのあとメンザ(ドイツ語の「学食」)に行ったりしましたが、どこも、いつもとは違う様子でした。

お気に入りのカフェはちょうどこの日を最後にしばらく閉めるということでしたし、

メンザも、机ごとの間隔、そして一人一人の間隔が空けられているこの日の光景はなかなか衝撃的で、かなりコミュニケーションしづらくなっていました。

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撮影:3月16日。メンザの様子。奥がビュッフェ。

 写真横に、間引かれた椅子が積んであるのがわかります。

 

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撮影:3月16日。机が2つ、くっつられて、対面に座る人との距離が遠くなった。

 普段だったら一つの机を囲んでいるので、手前の水のあたりにはもう友人が座っている距離感でしょうか。

 

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撮影:3月16日。ビュッフェの様子。ロープや白い机で、食器や食べ物の台から遮られている。

ハイデルベルク大学のメンザ、通常はビュッフェ形式なのですが、係の人が食事とってくれるようになったのは1週間ほど前から。いつも自分でモリモリに盛り付ける食事とは違うんですよね(´・ω・`)

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撮影:3月16日。モリモリしてない皿。

 

見てください、いつものメンザとモリモリのお皿を。

ああ、モリモリが恋しいな。

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撮影:3月5日。豚のルーラード(丸めた肉料理)の狩人風。

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撮影:3月5日。いつもの賑わうメンザの様子。

 

留学生たちの事情と帰国

また、この日から聞くようになったのですが、続々と、友人や留学生たちの帰国が決まっていきました。事情は様々ですが、みなさん、当初の予定とは大幅に異なった帰国を余儀なくされていました。

 

例えば、民間の語学学校にはワーキングホリデーの制度を使ってドイツに来ている日本人の方がけっこう多いのですが、

これから日本食の飲食店で働こうとしていたにも関わらず、飲食店の営業が難しくなってきたため(州によって措置が違いますが、営業時間の短縮、テイクアウトのみOKなど)、採用が取り消しになってしまった友人は何人か、それによって経済的にドイツに滞在する余裕や意味がなくなり、帰国することにしたという方もいました。ワーキングホリデーは一生に一度しか取れないですし、今のところいつまたドイツに渡航できるかもわからない状態だと思いますので、その機会をふいにされてしまったということにもなります。

 

ハイデルベルク大学の留学生では、例えば、交換留学生では、日本の大学から言われて帰国を余儀なくされるケースもありました。昨年の9月から1年留学予定の場合、予定の半分の期間で帰ったということになります。

また、4月からの学期の開始に備えて来ていた留学生も、3月の語学コースには出席できないことになり、さらに渡航しただけで帰国してしまった方も多いかと思います。その場合、渡航費や契約していた家賃など、ほとんど無駄になってしまった出費も多いでしょう。

また、僕の友人からも、ハイデルベルクではありませんが、ある大学の春休みの語学コースに来る予定だったものの、出発直前になってそのコース自体が中止になったという話も聞きました。

奨学金をもらっている留学生は、危険度レベルが2以上になったら留学中止になるところもあったり、その後の奨学金の支払いがされなくなるなどの事情で、ほとんど強制的に留学を中止し、帰国させられるような有様でした。

この問題については、帰国者に対する補償のなさと合わせて、知人が書いた記事をTwitterでも紹介しました。(*結果的に、彼女の奨学金のところでは3月分まで払われるようになったそうです)なお、帰国者に対する差別は、僕も帰国してからかなり意識すようになったので、後編の記事で詳しく触れたいと思います。

 

僕のような、留学先や制度と所属大学は何の関係なく、休学して個人で渡独している留学生もたまにいるのですが、そういう方でもこの後、3月23日に日本の指定するドイツの危険度レベルが3になったのに伴って、所属大学から帰国を命じられたという友人もいました。

ちなみに僕は大学から帰国を要請する連絡は、知る限りではもらっていなくて、もともと4月から復学予定でしたので、3月のいつ帰国するのか事前に聞かれていたくらいでした。なぜか。

 

また、ハイデルベルク大学には、当然日本人以外の留学生もいるわけですが、韓国からの留学生は、ただちに帰国を命じられるものではなく、1か月ほど猶予が与えられて、帰国するかそのまま滞在するかは、学生自身に判断が委ねられていました。(正直、この時のドイツでの友人たちの状況を見ていて、自分で判断する機会があることは重要だと思いました。)

日本人でも正規学生なら、自分で帰国するかどうかを判断できるわけですが、しばらく遠隔授業になるならドイツにいなくてもいいし、不安もあって帰国するという知人もいました。

 

などなど、多くの知人友人が、いろんな事情で帰国を余儀なくされるという状況でした。

 

映画館に駆け込むな!

白状します。

映画館に、映画を観に駆け込みました。

(駆け込むな。)

同じ3月16日、この日はまだハイデルベルクの中央駅の裏側にある大きい映画館はやっていて、コロナ対策で今後どうなるかは明日発表する、とホームページにありました。

映画は「1917 命をかけた伝令」を観に行きました。

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今まで同じ映画館に行ったときも、だいたい自分と一緒に来ている友人以外ほかに2~3組しか観客はいなかったんですけど、この時も夜ですがほかに二人組だけでした。

ちなみに、一コマ一コマ切り取ったときの画面の美しさ、あるいは陰影の印象が壮絶な映画でした。いろいろなところが、フィクションではあるんでしょうけれども。

 

ちなみに、大きな映画館とは反対側に、ハイデルベルクの旧市街地をまたいでKarlstorkinoという小さな映画館があるんですが、そこは3月14日(土)にはもう、翌・日曜日からしばらく閉鎖すると発表していました。ちゃんとホームページにそのニュースがあって見返せます。

というのも、Karlstorで15日(日)に上演予定の「名もなき生涯」という映画があって、観に行きたかったけど行けなかったんですよね。

 

www.karlstorkino.de

この映画を上映している館は限られていたので、実はフランクフルト(ヘッセン州なので、措置が違う可能性もある)の映画館に行くのも考えていましたが、無理でした。

(駆け込むな。)

さてこの「名もなき生涯」、総統が相当お怒りのようですシリーズの元ネタである「ヒトラー最期の12日間」のヒトラー役として有名な俳優ブルーノ・ガンツの遺作にもなった作品だそうです。

せっかくなので、Karlstorの紹介文を翻訳してみたいと思います。(突然のドイツ語翻訳)

フランツ・イェーガーシュテッターは、西オーストリアのあるへんぴな村で、妻と3人の娘たちと一緒に暮らしている、質素な山あいの農夫だ。自然との調和とともにあり、そして深い信仰心を持った、人々の尊敬を集める男であった。それゆえ彼は良心のために、断固として人を殺すことを拒否していた。ところが、第二次世界大戦が支配する時代、フランツ・イェーガーシュテッタ―もまた、軍隊に召集されることとなった。彼は兵役を拒否したが、教会の助言を求めるも成果はなく、ついにはベルリンで死刑に処されることとなった。

雄壮な山の舞台装置に、主演俳優をはじめとする迫真の演技。そして、「ツリー・オブ・ライフ」や「シン・レッド・ライン」といった作品を通じて知られているテレンス・マリック監督が見事に描き出したのは、偉大なるヒューマニティによって刻印された、形式的で叙事詩的、非常に事細かく(あるいは冗長に)編成された一人の人間――そして長いあいだ忘れられてもいた英雄――についてのドラマである。

 

Franz Jägerstätter ist ein einfacher Bergbauer, der in einem abgeschiedenen Dorf im Westen Österreichs zusammen mit seiner Frau und seinen drei Töchtern lebt. Ein respektierter Mann, im Einklang mit der Natur und tief religiös. Darum lehnt er es aus Gewissensgründen entschieden ab, einen Menschen zu töten. Doch es herrscht der 2. Weltkrieg, auch Franz Jägerstätter soll einberufen werden. Aber er weigert sich, sucht erfolglos den Rat der Kirche und wird schließlich in Berlin hingerichtet. Vor prächtiger Bergkulisse und eindringlichem Spiel nicht nur der Hauptdarsteller gelang Terrence Malick, bekannt etwa durch „The Tree of Life“ oder „The Thin Red Line“, ein von großer Humanität geprägtes, formal episch sehr breit angelegtes Drama über einen stillen, lange Zeit auch vergessenen Helden.

ちなみに、日本ではちょうど今年の2月から劇場公開が始まっていたのですが、日本でも今は開いている映画館も少ないですし、行きづらいですね……。

 

友人たちと最後の時間

オンライン授業の開講された翌日、3月18日、ハイデルベルクの友人たちと会いました。

春のハイデルベルクの様子をすこしだけご紹介。

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日本カフェでテイクアウトした煎茶で花見。

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ネッカー川、川縁の野原。天気も良くて、散歩している人も、ロックダウン下では比較的まだ多い。

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旧市街地から川向のイタリアン・カフェでジェラートをテイクアウト。天気がいいので、みんなアイスを買いに並んでいた。

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橋から撮ったネッカー川。右手に見えるのが旧市街地。左手の山には、「哲学の道」。

 

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哲学の道。観光名所の旧市街地と、アルテ・ブリュッケ(古い橋)が一望できる。

哲学の道は、山のなかの散歩コースですが、この日はやはり花も咲き誇る春爛漫といった陽気で、散歩するひとで賑わっていました。

それでも、旧市街地全体や中央通りの様子としては、観光客もいて賑わっている普段よりは、全然ひとは少なかったと思います。
ネッカー川沿い、大好きです。

     ◇

 

なお、3月20日に、日本領事館からもらったメールで、21日から接触人数の制限がありました。自分も含めて、3人までしか集まってはいけないという決まりです。(家族やパートナーは除いて)

 

     ◇

 

思い出したことと今思うこと

ここまでで、書き洩らしたことを一つ。

中国人エンジニア

2月の中旬までのいつかだったかと思うが、ある日iPhoneのバッテリー交換をしにいった。中国人のエンジニアが働いているのだが、受け取る際、彼に中国の家族や友人は大丈夫?と声をかけた。そうしたら彼は、家族はドイツにいて、自分もそのために働いているんだと答えた。中国の政府は嘘ばかりだ、と批判的にコメントしていた。よりよい暮らしや公正な社会を求めてドイツで働いているんだなあと思った。返答として、日本も今経済格差がすごくて、貧困が広がってるのであまり暮らすのによくないよって話をしたが、少なくともシステムが民主主義である以上、社会をよりよくできる希望は捨てたものではないと思いたい今日この頃である。

 

ギリギリパーティ

あと、4月15日(日)、トルコとドイツにそれぞれルーツがある友人が、ささやかなお別れ前のホームパーティーを開いてくれました。思えばこれより後だったらそれもできなかっただろうから、ギリギリのタイミングでした。

お土産に、手作りのトルコのモザイクケーキをいただいた。チョコでずっしりしておいしかった。

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トルコのモザイクケーキ

 

ドイツの買い物事情:トイレットペーパーと消毒ジェル

 同じ15日の夜。(日本時間朝)

いやしかし、その約一か月後=リアルタイム東京でも、いつも行くスーパーやディスカウントストアでも、トイレットペーパーがちょうど切れるタイミングでなくて、このあいだ1000円近くでポチることになろうとは……。つらみ。

ドイツでも、トイレットペーパーだけでなく消毒ジェルも、普段売ってるところになくなったりもしていました。日本でもドイツでもなくなるものは同じですね。

あと、同じように紙のアイテムでは、キッチンペーパーもなかったみたいですね。僕が帰る前で余っていてもう要らないので、欲しい人にあげたりしました。

 

ちなみに、ドイツでは見た一番高い消毒ジェルは空港で売ってたもので、ほぼ13ユーロ。日本円にしておよそ1500円でしょうか。

僕がドンキで買った消毒ジェルは、一応480mlで2000円近くだから、実は、まだコスパがいいんですよ。(嘘でしょ…?)ドイツでも以前は1ユーロショップでちっちゃい持ち運びボトルも売ってたのになー、それもなくなりましたからね。

恐ろしい世界……!

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撮影:3月30日。フランクフルト空港の消毒ジェル。お値段12.95€なり。


 

 

3月4週目

そんなこんなでいよいよ僕のドイツ滞在最終週。

もう基本的にはただ引きこもって、午前はオンラインでドイツ語コースを受講、1日のうちできれば一度くらい散歩に行って、たまに買い物して、楽しく料理する、といった感じの日々でした。

 

街の様子

4週目に入ると、旧市街地でもめっきり出歩く人は減って、街全体がもぬけの殻になったみたいだったのを、よく覚えています。

ちょっと、先週(3週目)の様子から写真で見て行きましょう。なお、同じポイントではないですが、写真はすべて同じ旧市街地の中央通りで撮ったものです。

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撮影:3月16日。この日までは通常運転だった。ストリートパフォーマンスを聞いていた。

 

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撮影:3月17日。ジェラート屋さんの前で、アイスを食べるひとたち。

 

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撮影:3月20日。ひと気のない旧市街地、中央通り。

これには正直かなり驚いた。こんな中央通りは見たことがない。

 

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撮影:3月26日。旧市街地、中央通り。まばらに人が。

……と、ロックダウン下での日常生活と街の風景は、このようになるんだと実感しました。
以前のようにはほとんど人は出歩かないが、その中でも買い物や散歩などで人々が日常生活を送っている様子と言いますか。

 

ドイツの買い物事情:ソーシャルディスタンスっていうか、対人距離

ドイツでの買い物事情を少しだけ上記に書きましたが、起きた現象は品不足だけではなく(あ、ちなみに知る限りでは食べ物がないってことはありませんでした。)、4週目に入ると、お店では対人距離もかなり気にされるようになっているのを目にしました。

入店できる人数が制限されていたり、店内に距離を開けようと促す注意書きが貼ってあったり、買い物客が並ぶときに距離をあけていたり、というお店もありました。

入店人数が限られているばあい、お店に入るの時間がかかるんですよね……。

ただ、日本に来て思いましたが、それでも感染リスクを減らすにはぜんぜんいいと思います。日本のスーパー、三密すぎて怖いです。

 

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撮影:3月26日。スーパー。店内のいたるところに、対人距離の注意書きが。

 

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撮影:3月28日朝9時。おいしいと評判のパン屋さん。開店時間にはもうこんなにひとが並んでいるけど、距離を開けているのがわかる。

 

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撮影:3月19日。バーガーキングのドライブスルーに、人が。店内が開いていないのでテイクアウトするしかない。外食できるところも減っている。
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バーガーキングのWhopper! 植物由来のパテを使ったヴィーガンメニュー。

ちなみに、ふつうにかなりおいしいです、ワッパー。日本にはないのかな。動物を犠牲にすることによる罪悪感や環境負荷もなく、おいしいハンバーガーが食べられるのは最高。

ああ、ブログ書いてておなか減ってきた……。

 

     ◇

 

4月27日、市役所に用事があって旧市街地に出かけたのですが、たまたま近くのリンツが開いているのが見えたので、まさか、今やってるの…!?と思いながら行ってみました。

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安くなっていたのでお土産用にと思って買ったんですが、日本で結局家族くらいにしか渡せていないので、ざんねん。配るのに買った袋を一つ開けて、ちょっとずつ食べています。リンツ、おいしいんだなー。

 

サマータイム:さよなら、冬のドイツ

29日未明、サマータイムになって、夜が1時間短くなりました。

 

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(29日夜のツイート)

 

正直、コロナの影響がなければ、ドイツ滞在最後の2週間も、人に会いまくって、せわしない時間を過ごすことになりそうだったので、お家でゆっくりできたこと自体は悪くなかったと思っています。

 

次回予告

4月前半、夜も眠らぬトーキョー・シティ。

いよいよ帰国!空港の検疫、空を見渡せば、桜――そして久しぶりの寿司!

空港検疫をぶじに通ることができたのか。14日間の隔離期間をどう過ごしたのか。

次回、帰国、そして東京で隔離生活:コロナ危機下の一ヶ月〈4月編〉

更新待ってね★

*1:ミュンヘン日本国総領事館発行メールマガジン第569号「バイエルン州及びバーデン=ヴュルテンベルク州における新型コロナウィルス対策(新たな防疫措置)」(3月17日)を参照

*2:ミュンヘン日本国総領事館発行メールマガジン第571号「バイエルン州及びバーデン=ヴュルテンベルク州における新型コロナウィルス対策(新たな防疫措置2)」(3月18日)を参照

春が来て、コロナも来た。コロナ危機下の一ヶ月〈まで〉

2020年、まさかこんなことになろうとは——そう誰もが思っていることかと思いますが、感染の拡大するなか、僕はロックダウンされたドイツに3月末まで滞在していました。

現在は帰国し、その後14日間の要請された自宅隔離期間を終えたところです。

 

ドイツでロックダウンの始まった3月後半から、帰国者として隔離させられていた日本での4月前半までで、ちょうどほぼ一ヶ月が経ちました。

その期間を「コロナ危機下の一ヶ月」と題してブログにまとめて記しておきたいのですが、今回の記事ではその前哨戦として、それまでのあいだに、聞いた情報や持っていた実感などを、思い出していきたいと思います。

(*かなり記憶に頼って書いているので、間違っている記述や、より詳細なソースなどありましたら、教えていただけると幸いです。)

 

 

★1月

〇初めて新型コロナウィルスのニュースを聞いたのは、2020年の明けた1月に入ってから。僕の通っていたドイツの語学学校には、中国人の生徒も多く、武漢が故郷の友人に家族なんかは大丈夫かとやりとりをしたのが1月29日であった。

★2月

〇2月初め、新型コロナウィルスの流行について、まだ遠い地域の話として武漢の報道を聞いている。日本では地理的に近いにも拘わらず、水際対策が徹底されていないことについて批判されている様子。

〇2月中旬、岩田健太郎氏の、ダイヤモンドプリンセス号の非科学的なコロナ対策についての告発の報道で、日本の対策大丈夫か……(大丈夫でない)と衝撃を受ける。

〇2月の終わり、フィンランドポーランドに旅行した際、2/27時点では、ポーランドにまだコロナの感染者はいないと聞く。イタリアでの感染者が報道され始めていて、ヨーロッパでも感染拡大が心配され始めていた時期。

 

★3月前半

〇3月1週目

さて、2月の雪の積もるフィンランド、そしてたびたび雪の降る天候に見舞われたポーランドの旅からドイツに戻り、花が咲き始め春を感じる季節。

3月1日には、ドイツに滞在している日本人留学生に声をかけ、ハイデルベルクにて研究会を開催していました。

(*この研究会については簡単に紹介する別記事を書きたいのですが、目下のところ研究会詳細は、ぜひ以下のリンク↓からチェックしてください!)

snpeacestudies.jimdofree.com

 

しかし今でこそ、「ほかの地域へ移動する」「各地域から移動してきて集会する」、というのは感染リスク的にアウトであることが当たり前の状況となりましたが、

まだ3月初頭の時点では、開催を中止するという考えは全く頭に浮かばないような状況でした。

 

遠景の橋は、Alte Brücke と呼ばれるハイデルベルクの観光名所
撮影:2020年3月2日。ネッカー川沿いの梅の花。1日夜に突然暴風雨になったせいで川が濁っている。

 

     ◇

 

僕はドイツのハイデルベルクという都市で、週5日、語学学校に通っていました。ハイデルベルクは、ドイツの中でもバーデン=ヴュルテンベルク州に属しています。ドイツでは州ごとにさまざまな制度が異なりますが、コロナ対策も基本的に州ごとに行われています。

語学学校は、ショッピングや観光の中心地でもある旧市街地にありました。つまり、人が多い場所です。そのような立地でしたが、3月1〜2週目は通常通り、語学学校に通っていました。ただ、その中でも確実に、コロナの感染とそれへの対応・反応の波は広がりつつありました。

 

〇アジア人差別はあったか?

ヨーロッパをはじめとする各地域におけるアジア人差別は、特にこのころ、SNSで告発される様子を見ていました。僕の場合ハイデルベルクでは、コロナの不安によって表出したアジア人差別に直面することはありませんでしたが、ディスカウントスーパーのある店舗のレジに、(コロナ以前から)アジア人に対して態度の悪い店員がいて、苦笑するくらいでした。ちなみに態度が悪いのがどんな感じかというと、ほかのお客さんにはレジでふつうに挨拶や世間話をしているのですが、僕などアジア人の番になると、その人に対しては黙ったままお金を乱暴に受け取って落としたりしていました。

また時間は戻ってしまいますが、2月にはもう語学学校の先生が、コロナウィルスの話題を頻繁に挙げるようになっていました。ある先生の話ぶりについて、その先生が意図的ではないのはわかるのですが、"中国人に対して差別的ではないか?"とも友人は言っていたのが印象的です。2月の時点では、まだ感染がヨーロッパで広がっていなくて、中国の話だと思われていた背景があるとは思いますが、コロナウィルスと中国人を結びつけて話していたのが、友人には引っ掛かったのだと思います。だって、中国人と言ったって、ずっとドイツにいれば感染してるはずはないし、中国と接触のある人が帰ってきたとしたら、その方が人種に関係なく感染リスクは持っているわけです。

 

2月の語学学校の対応としては、中国人の生徒にアンケートを配るなどは既にしていたと思います。また、3月の前半になると、生徒みんながメールアドレスを書かされるなど、オンライン授業の可能性が噂され、その準備が始まっていました。

 

〇3月2週目

僕は1月の終わりから、自宅(語学学校の寮)から歩いて5分ほどのところにあるヨガスタジオに、毎週月曜日にヨガレッスンを受けに出かけていました。

2月の終わりは旅行で、3月の初めは研究会だったのでしばらく間が空いて、3月9日(月)に久しぶりにヨガに行ったのでした。そしてその日、ヨガの始まる前にはコロナの話題で持ちきりだったことをよく覚えています。

(*3月9日夜のツイート。ドイツ滞在中のツイートは、8時間後ろにずらしてお考え下さい。)

 

また、同じ日に、フォロワーさんがシェアしてくれた次の記事↓を読んでのツイートでもありました。

europe.nna.jp

 

ちなみに同じ日の夜にはまだ、参加していたオーケストラのホルンのアンサンブル会にも出かけていました。

 

こんな感じで3月の2週目はスタート。

コロナ感染拡大の波は確実に来ており、外出制限が噂されたり、それに備えて準備が始まりつつも、過剰に不安がることはなく基本的にはまだ通常営業でした。

 

〇端境期となった週末

3月2週目の最後の金曜日。今週も授業は終わり〜!

だけど、来週以降どうなるのか、いつオンライン授業が始まるのか、まだわからない。とりあえず、次の月曜日(3月16日)は学校まで来てねってことでした。

 

実はこの週末、僕はコロナのことは心配しつつも、フランクフルト(ハイデルベルクから電車で2時間ほど)まで電車に乗って、知り合いと会いにまだ出かけていました。そしてこれが、遠出して知り合いに会うには最後のチャンスとなったのでした。

つまり、電車もまだ通常通り動いてはいた。

ただ、僕も消毒用アルコールを持ち歩いていたり、店員がお金の受け渡しを直接しないようになってきていた時期です。

(ちなみに僕の行っていた語学学校では、親切にも消毒用アルコールの携帯用ボトルを生徒に一人一本配っていたらしいのですが、なぜか僕はもらわなかった。なんでなんだ……)

 

また、毎年春にはハイデルベルクで一ヶ月ほどの間、素敵なコンサートシーズンが続くのですが、そのコンサートが主に開催される劇場も4月19日まで中止になることを知ったのも、3月13日の金曜日でした。まだその週には来週の演奏会に行きたいねと友人と話していたので、残念すぎる。(ただ、逆に言うとこの時まではまだあまりリスクに対する意識が薄いですよね……)

なお、バーデン=ヴュルテンベルク州のお隣、大都市ミュンヘンのあるバイエルン州では、イタリアでの感染拡大を受けて、3月の比較的早い段階から、コンサートホールやオペラの劇場などの人の集まる公共空間が次々と閉められていたそうです。バイエルン州は地理的にはイタリアに比較的近く、ドイツで最初の感染者が出たことで、他の州に先駆けてコロナ対策の措置を始めたという経緯があります。

ドイツでは、州ごとに状況が違い、対策や着手する時期も異なりますが、全体で足並みをそろえるための電話会議をしているそうです。

 

さて3月2週目、そしてその週末は、ハイデルベルクでも劇場や各映画館などの公共空間の閉鎖が決まったり、始まったり、そしてその後には都市と都市を結ぶ電車(ICE=Inter City Express)の本数が減らされるなど、日常とロックダウンの端境期となったのでした。

 

     ◇

 

次回予告

3月も後半のドイツ。

感染と不安の広まる中、第3週目の月曜日、永月さんは語学学校に行けるのか?

オンライン授業への移行、友人や留学生たちの急な帰国――そんな中、街の様子はどう変わったのか?

次回、ロックダウン下のハイデルベルク:コロナ危機下の一か月〈全編〉です。

更新待ってね★

「史料読解ワークショップ」開催の記録

雨のハイデルベルクからこんにちは。

今回はドイツでの滞在記ではなく、活動の記録として、渡航前に日本で開催したワークショップの開催レポートのお知らせです。

今年2019年7月8日に、Historians' Workshop(という、リサーチ・ショウケースや、歴史学に関するワークショップといった、学問的なコミュニケーションの場を提供するグループ)にて、「史料読解ワークショップ」を企画いたしました。

 

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史料読解ワークショップ チラシ

 

ワークショップの内容は、以下のリンクにあるレポートに詳しいです。

レポートは、ワークショップの概要をまとめた前編と、後編は、ワークショップに参加して学んだことや考えたことを、参加者の院生二人に伺った対談記事の二本立てになっています。

historiansworkshop.org


当日参加できなかった方もいらっしゃったかと思いますが、こちらの記事がまたみなさんとの議論の素材になれば嬉しく思います。

ベルギー滞在記②ゲントの夏と車内の「社会」

駅前の売店でお兄さんの笑顔とともに、ベルギーっぽくワッフルを買った。

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ワッフルを朝ごはんに、この日はゲントへ向かう。

ちなみにゲントに来た経緯はこちら:https://twitter.com/mit0919sahne/status/1146815020644179968?s=21

 

▼ゲントの聖ピーター駅はこんな感じ。

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しかし、この謎のおじさん像、不気味なのになぜお姉さんたちが記念撮影を撮っていたのか、謎が謎を呼ぶのであった。。

 

▼スナップショット。自転車としての意味を失った自転車。
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◆フランドル伯居城

さて、駅からトラムに乗って、フランドル伯居城のある中心地へ。

この古城は、1180年にフランドル伯のフィリップ・ダルダスによって作られたものだ。(ネットで拾った他の記事の方が詳しいので興味ある方はどうぞ→http://francekenbunroku.blogspot.com/2018/10/blog-post_90.html?m=1)

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▲門の内側から外を見るとこんな感じ。枠構造の風景写真はかっこよくてよく撮る。

 

外観はこんな感じである。

水辺の城壁が美しい。

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ここでは入場料を払って入れば、そのまま好きな言語のオーディオガイドを借りられる。

といっても日本語はないので、英語をチョイス。

 

ちなみに、ベルギーは一部地域ではドイツ語も話されるが、私が今回訪ねたルーヴェン、ゲント、アントウェルペン、フランドル、ブリュッセルでは、フランス語・オランダ語優勢で、英語も通じるという印象であった。

そのベルギーにいた間、オランダ語でわかった単語をメモしていたものがこちら↓

【英語-オランダ語-ドイツ語】

day-dag-Tag

Welcome-Welkom-Willkommen 

Thank (you) -Bedankt-Danke (dir)

the world-de wereld-die Welt

great-groot-groß

オランダ語はちゃんと辞書を引いたこともないのだけど、こうして並べてみると英語・ドイツ語の中間的な言語だとよくわかる。

 

さて、お城の中を覗いてみよう。

▼古城の中は、こんな感じ

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▼中世の武器が置いてあって歴史好きにはアツい。
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▼フィリップのお妃がハープを弾いていた暖炉のある部屋。

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▼城のてっぺんまで登った眺め。
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▼地下に敵?を落としておく穴。下には出口も何もない石造りの空間が広がる。
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▼ここは拷問部屋のよう。黴臭いにおいが充満しており、はるか昔にここで起きたであろうことを想像して、僕は気持ち悪くなった。中世の血生臭さを肌で感じた瞬間だった。
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▼こんな壁際にトイレが。。!怖くないか。


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▼チャペルと思しき広間。

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古城探索はこれにてお終い。

解説は、終始フィリップとお妃のラブロマンスを強調していた感があったことに突っ込んでおきたい。

 

◆古城周辺を散策

▼お城裏の水辺のすぐ近くの建物の壁面には、こんなプレートがあった。オランダ語で書かれた記念碑だ。中央の四角いプレートは第一次世界大戦のもので、両脇の丸いのは第二次世界大戦のものだ。

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オランダ語は全く勉強したことはなく、辞書すらまともに引いたことがないのだが、翻訳ツールを使ったりオランダ語のできる知り合いに聞いたりしたところ、おそらくこんな感じのことが書かれている。

・Hulde aan dnze helden 私たちの英雄への賛辞
・Gesneuvelden 殺された(兵士)
・Opgeeischten 強制労働者(ドイツでの労働のために送還され、そこで亡くなった)(兵士)
・Burgerlyk(Burgerlijk)Slachtoffe 民間人犠牲者

 

Huldeとは、「賛辞」ないし英語で言えばTributeに当たる単語のよう。第一次世界大戦時の犠牲者を、当時悼むと同時に英雄化をもしている様子が見て取れた。また、民間人も一緒に記念しているのは特徴的に思われる。

 

 

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▼真ん中の家のような、四角を積み重ねた三角屋根をベルギーではよく見かける。可愛らしい。
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お昼ご飯は、歩いてたまたま見つけたペルシア料理屋さんに入ってみた。

ナスとトマトのペルシャ煮込みKhoresh Bademjan と、サフランライス。美味しかった。

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◆街の中心

この日はフェスをやっていて、出店が並んで人も賑わっていた。

そんな様子を見ながら街の中心の方へ歩く。

今年のヨーロッパはたいへんな猛暑で、天気予報を見ると毎日40度近い気温だ。

途中でフローズン・アイスを食べた。今回のヨーロッパ訪問で最初のアイス🍨😋

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聖ミヒャエル橋を渡ると、遠くからも見える大きな建物まで到着。

◯まずは聖ニコラス教会(St. Niklaaskerk)

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犬を象ったようなドアのストッパー。

 

◯時計のある塔は、鐘楼と繊維ホール(Belfort ent Lakenhalle)

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◯聖バーフ大聖堂(Sint Baafskathedraal)

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ポスターにファン・エイクがここにいた!とあるように、ここはファン・エイクの祭壇画「神秘の仔羊」が見どころ。建物は入って見ていたのですが、しかし「神秘の仔羊」のスペースは別の部屋であることに気づいた時には閉まってる時間であった。。残念。今は修復中で、一部分ずつ見られるそうな。

 

聖ミヒャエル橋からは、これら三つの建造物が並んで見える。

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◆民俗博物館とビールと音楽

そのあと街を歩いて、たまたま見かけた民俗学博物館Museum Voor Volkskunde House of Alijn へ。

オランダ語が分からず、わからないことも多かったのだが、一つめの建物は、煙草や目覚まし時計、コーヒーポットなど、テーマごとの展示だった。

 

▼ここは煙草に関する展示。(これ以外 写真を撮っていなかったのが残念だ。。)
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二つめの建物のドアを抜けると、目の前にクリスマスのインスタレーション映像が流れており、ベルギーの人びとがどのようにクリスマスを祝って、あるいは過ごしてきたのか、情感的にクリスマスの展示へと誘われる。

面白いのは、12月のクリスマスから始まり、一年の経過に沿って展示が進むところだ。一年経過に合わせて、時候や特定のイベントがテーマとなって人びとの生活様式に関する主にモノの展示がされる。

ちなみに展示の正確な時代がよくわからなかったのだが、おそらく(もしかしたら20世紀くらい〜?)戦後から8-90年代くらい?の印象だった。確実に歴史区分で言うところの「現代」だけど、特に携帯電話やスマートフォンの使われるようになった「最近」ではなかった。

ちなみに今度の10月から来年4月までの特別展で、今はないベルギーの徴兵制における体験を扱うらしく、それの時代は20世紀のようなので、多分この博物館の主眼は20世紀なんじゃないかと思う。この展示、めちゃくちゃ気になるな。(http://huisvanalijn.be/nl/actueel)

 

香りも展示があったのが珍しかった。夏の時期には海水浴に関する展示があって、サンクリームの香りが強烈に印象に残っており、めちゃくちゃエモかった。

人の生々しい生活の香りのする展示が、クリスマスから、新年、子どもの誕生、引っ越し、休日の過ごし方、新学期……こんな調子で続いていて、見るに見切れなかった。

ちなみに、その場で写真を撮って印刷してくれる機械があって、簡単なメッセージを書いて貼る掲示板コーナーがあったので、足跡を残してきた。

ベルギーに行った際は探してみてほしい。

 

博物館を出ると、建物は庭を囲むように並んでおり、その庭はビアガーデンになっていた。

というわけで白ビールを。

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ビアガーデンでは楽器の演奏をバックにボーカルのお姉さんが歌う演奏をしており、音楽を楽しめたので、これだけでフェスのゲントを満喫できた。

 

◆川とコーンレイ・グラスレイ

博物館の裏に並ぶ建物もこんなに綺麗。

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ゲントには川が流れているが、街を歩いているとよく観光客を載せたボートも流れていく。

ビールを飲んだところで、せっかくなので乗ろうという気になって、乗ってみた。

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川の両サイドがそれぞれコーンレイ、グラスレイと呼ばれるスポットは、レストランが並び、フェスの会場になっていた。

夕暮れから夜景の時間帯、川辺のゲントを撮りたかったが、こちらは7月末には9時を過ぎてもまだまだ明るく、陽が落ちるのは10時近くなってから。

流石に遅くなってしまうので、そろそろ帰ることにした。

 

帰る前に、ご飯を食べる。

出店のパスタ屋さんでボロネーゼパスタを買ってみた。

お腹が空いていたので、サイズを聞かれてスモールではなくミディアムを頼んだが、作っているのを見ていて失敗を悟った。

見て、あり得ん量のパスタ。

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フェスでドゥンドゥクしながら大量のパスタをもくもくと食べたあと、トラムに乗って駅まで行き、ゲントを後にした。
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◆車内から見た「社会」

電車に乗ると、フェス帰りの時間であるため混雑しており、僕は入り口から一番近くの席の島(対面している4席)の前に立っていた。お父さんの膝の上に座る小さな娘さんが、僕の鞄に下がるくまのパディントンに興味を示したのをきっかけに、父娘とアイコンタクトや簡単な会話でコミュニケーションをとっていた。

 

車内は混雑してみんな疲れてイライラしている人も多かっただろう中、他の乗客同士でちょっとしたいざこざが起こった。

おそらくフランス語だったので何を言っていたのかわからなかったが、ある人の手が出そうになりかけたので同じ車両は騒然となった。

しかし、周囲の人たちがそれを止めたし、何か喋って手を出しかけた人を説得していて、そういった社会性があるのが認められた。(日本だったら例えば新幹線や電車内で喧嘩があっても周囲の乗客はスルーするのではないだろうか、というのが想像できる)

ちなみに僕は、その喧嘩のまさに当事者たちの間に位置的にいたのでビビっていた。

近くにいたお父さんが、娘さんに、それが見えないように目を隠すようにしていたのを覚えている。

お父さんはあとで僕に席を譲ってくれて、廊下を挟んで向かいの席のご家族と一緒にいた。

 

この一件である記事を思い出して考えたのは、「社会」の捉え方についてである。

ヨーロッパに発つ前、6月の終わりに『ビッグイシュー』(日本版361号)という雑誌を買った。ビッグイシューとは、ホームレス支援に取り組む会社であり、販売している雑誌名である。

ホームレスの方が路上でその雑誌を販売することで、彼らは仕事と売り上げの半分を得ることができる。ビッグイシューのことを知ってからは、駅前でよく販売しているので、見かけたら買うようにしている。内容も面白いし、表紙も可愛いねこちゃんの時もあってなかなか良い買い物だと思っている。

買った号の特集は「生きやすくなる方法」で、特に印象に残っているのが、鴻上尚史さんの記事だった。(http://bigissue-online.jp/archives/1074954454.html)

雑誌を読んだのは2ヶ月程前の上、手元にもないので一度読んだだけの記憶を頼りにした紹介になるが、当該記事では、日本における「社会」のあり方について考察している。

日本には「世間」と「社会」の二つがあり、ふつう日本の人は「世間」に生きているという。「世間」とは、自分と顔見知りだったり、関わりのある団体や組織などの範囲のこと、だったと思う。

日本に対して、例えばヨーロッパを念頭に置いていたように思うが、外国における「社会」は多くの場合、もともと顔見知りでなくても、電車やお店などで居合わせただけの人々も互いに社会の構成員であり、一員だと認めているという。だから、エレベーターの中でたまたま乗り合わせただけの人でも挨拶や世間話をすることが多いと。

それに対して日本では、「世間」で生きること(人)が多いから、「世間体」を気にしたり、世間の中では他人に親切にしても、その一方で「社会」の人は自分と関係ないと捉えがちであるため、社会での人との助け合いやつながりが希薄になってしまう、ということであった。

 

僕の印象における現在の日本での社会福祉や社会参加への意識の希薄や、「自己責任」論が堂々と闊歩してしまうようなその重要性の認知度(理解度)の低さについても、

あるいは個人的な経験から、僕にとってはとても狭い「世間」であった、中学や高校を思い出しても、腑に落ちる説明だった。

僕の経験では、中学や高校でのグループ化は凄まじいものがあって、高校ではもはやクラスにほとんど友達がいないように感じていた。

そこにはよりミクロな世界があって、クラスの中のグループが「世間」で、クラスや学校が「社会」だった。学校というミクロな単位の中ですら「世間」と「社会」の違いがはっきりあったように思い出せる。

一体験ではあるが、こういう世間感覚の延長に日本の「世間」と「社会」の在り方があると思うと、個人的にはよくわかる例えだ。

 

「社会」についての話が長くなったが、そんな感じで車内の喧嘩にちゃんと仲裁が入るのも、喧嘩の行方を乗客が見守っているのについても、“ああここには「社会」があるんだな“と感じたのだった。

一応、車内のいざこざは手が出そうになったタイミングがピークで、それ以上の大ごとにはならなかったから良かったものの、みんなフェス後で人も多くてとても疲れている雰囲気だった。

ちなみに僕も疲れて途中ブリュッセルで電車が止まってる時に寝ていて、ふと目が覚めた時に前の男の子たちに「ここルーヴェン?」と(英語で)聞いて、Yesと言うので降りたらまだブリュッセルだったんだが、どういうことだ。そんなに発音悪かったのか。。しかも降りた途端にずっと止まっていた電車が出発するという。。

とはいえ、後続の電車はすぐ来たし、打って変わってガラガラだったので、むしろ快適だったので良かった。

この日はハッピーエンドである。

ハイデルベルク③学食と大学生 —大学の街で

1週間目その2。

ドイツ最古の大学である、14世紀から続くハイデルベルク大学

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大学図書館

そんなここ大学街での、ここまでのご飯事情と、ハイデルベルク大学の学食、街で見かけた大学生、そして出会った人々から環境問題と生き方について考えたことを今回は書いていきます。

 

◇火曜日

この日のお昼ご飯はトルティーヤ!

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トルコ料理のお惣菜屋さんに、トルティーヤの断面が可愛らしく並んでおりました。

あと、蛸🐙、美味しい。

お惣菜は量り売りなんだけど、大体のグラムを一回でキメるおじさんプロって感じでかっこいいのだ。

 

ハイデルベルク①の記事で、ドイツのスーパーにお惣菜はないと書いたけど、スーパーにはないけど、つまるところそれぞれのお店に行けばいわゆるお惣菜的なものは手に入るということがわかった。肉は肉屋で。

 

◇水曜日

水曜午後の3コマ スナップショット。▼


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どこに向かっていたかというと、ハイデルベルク大学のまずい(と言われている)方の学食、Triplex Mensa am Uniplatz!とりぷれっくす めんざ あむ うにぷらっつ。

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なんでまずい方にわざわざ来たかというと、メンザカルテ=学食カードを作りに来たから。こっち側に作るところがあるんである。

あと、先にまずいところのレビューをしておく作戦。

 

まずカードを作りたいけど、よくわからないので、とりあえずお会計のお姉さんに聞いてみた。

聞くところによると、この学食のすぐ隣に、メンザカルテを発行してもらえる受付の建物があると教えてもらって、カードを作ることができた。

戻って料理をゲットしてお会計に向かうと、お姉さんは あー できたのね!って笑顔いっぱいでお会計してくれた。

▼こちらがこの日のお昼ご飯。

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料理はFrikadelle っていうミートボールだそう。初めて食べる。語感で注文したが、こっちの学食では、メインはボードに書いてあるメニューから、注文して料理を受け取る。

しかし、これはほとんどグリーンピースで構成されていて、味付けはトマトソースだけに頼っている代物であった。

確かに美味しくない方の学食と言われる所以がわかった。これが、ハイデルベルクの「じゃない方学食」か。

日本でも、ドイツの素朴な味わいを、グリーンピースとケチャップとご飯でこの味を再現できそうです。ぜひお試しください(暗黒微笑)

ケーキは美味しかった、ちょい甘過ぎだけど。

 

◇木曜日

満を持して、美味しい方の学食、Zeughaus-Mansa im Marstall へ!

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中は趣のあるホールで、こちらはビュッフェ形式だ。

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外で食べるのが気持ち良い!でも日陰じゃないとちょっと暑い。あと、外で食べてるとよく蜂がやってきて、ちょっとビビりながら食べることになる。

 

▼野菜取り過ぎの舞。

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ビュッフェの最初で張り切っちゃうの、わかる。でも久しぶりに、野菜をたくさん食べられて嬉しかった。

 

美味しい方とまずい方の学食は、中央通りを挟んで大体反対方向にちょっと行ったところにある。

そして、じゃない方学食からほんの少し行くと、大学図書館がある。冒頭の写真がそれだ。

この日はちょっとだけ潜入して、宿題をやってみた、満足。

 

◇金曜日

▼ビュッフェの取り方上達の舞。

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ドイツに来てから初ソーセージ。

あと、このモッツァレラとプチトマトのカプレーゼものすごくお気に入り。

 

▼スナップショット、ベンチのりんご。


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あと、金曜日だったので、気が緩んでアイスを食べてしまった。

あずーろしえろ?という可愛い青いのを頼んだら、後ろの方がキウイと聞かれたために今日はダブルになった。

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酸味があって結果オーライな美味しさ。

 

で、今日こそはギターを買うぞ!と思って、楽器屋さんに向かうつもりでいた。

楽器屋さんを調べると、この間見た、市役所の通りにあるところと他に、もう一つあるようで、まだ行っていない方にアイスを食べつつ向かってみることにした。

iPhoneアプリのマップを頼りに行ってみると、なんだか広場がざわついている。

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あ、これデモだ。と気づく。

 

旗を持ってる人のTシャツを見ると、“das PETA ZWEI”という、動物の権利を訴える団体のデモのようだ。

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演説が終わると、マーチへ。

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DJが載っているトラック2台に先導されて、ハイデルベルクの旧市街へと繰り出す。そのあとは旧市街を抜けて、住宅街の方へ移動していった。

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呼びかけの内容は、地球のために今こそ動こう、と関心や行動を促すもので、演説では政治についても批判していた。

ちなみにデモに混ざって聞いたところ、やはりハイデルベルク大学の学生が主体となってやっているようだった。

ちなみに(難しかったので)後日もらったチラシをちゃんと読むと、気候変動による危機に対しての政府の無対応を批判し、市民が話し合う場を作ることを訴えていた。

チラシの文章や語彙は僕にとってはまだ結構難しく、しかしクリティカルに洗練されていて、さすが大学生が真面目に書いた文章だけあるなと思った。

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デモ行進は、街を歩く人々を巻き込んで、子ども連れの夫婦もいたり、自然に参加している人もたくさんいたのが印象的だった。

DJの流す音楽で、マーチはノリノリだ。(参考動画: https://twitter.com/mit0919sahne/status/1157325539545354240?s=21)

環境問題や政治の課題を、「カジュアルに」街や市民全体で、問題を共有しようとする試みは非常に有意義なものに感じられた。

 

そういえば先日、とりわけ地球環境のために自分の生き方を見直したいと言って、肉を食べるのをやめ、飛行機に乗るのもやめることにしたというドイツ人と知り合った。

彼は日本語もできて、仕事柄日本にも来ていたので、飛行機に乗らないとなると日本にも行けなくなることを思うと涙が出たそうだ。それでも仕事もひとまず辞めることにしたらしい。すごい決断だと思う。

ちなみにCO2排出量の中でも、飛行機からの排出量はかなり多くを占めているからだそうだ。(例えば参考に: https://www.afpbb.com/articles/-/3173758?cx_amp=all&act=all&_gl=1*25opn1*_ga*eFlmY1BmTUNEWFo2UnFwZ0dVWi04Y2o1Q1QyLTY1ZjVONzF1V3ZZOEo5WHoxWkJnekw0eFZUSmlwTF8xQ09UQw..)

また、他のドイツ人の知人を見ても環境問題や特に地球温暖化への問題意識が強くてそうした話をすることがある。少し前まで日本にいた時には、あまりふだん気にしたり話題のぼることがなかったので、彼との出会いをきっかけに、自分の生活を見直そうかなと思った。

 

彼は「他の人を批判したいわけじゃない、自分の生き方の問題なんだ」と繰り返していた。

こうした彼の考え方は尊敬する。そして僕が思うのは、こうした大きな生き方の変化や決断をしなくても、他にも多くの人が、少しずつでも環境のために行動すれば、その効果はきっと大きなものになるだろう。だから、例えば僕はベジタリアンではないけど、意識して肉や乳製品を食べるのを減らすようにしている。(動物産業については、環境問題だけではなく、動物倫理からの問題意識が強いが)

そこでここ数日、地球温暖化防止のためにできること、例えば、エレベーターをあまり使わないようにしている。非力な一人である僕が少しずつ行動する事で、世界が良くなることを願って。

つまりそれは、未来のために。

ハイデルベルク②ネッカー川の街へようこそ!

ハイデルベルク生活1週間目について、つらつら書いていきます。

 

さて、2日目の朝。

お家の入り口に葡萄の垂れている生活。

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この日は授業を終えて、住民登録をしに市役所へ行くことにした。

Googeln(ドイツ語で「ググる」)すると、ハイデルベルクの住民登録のやり方の情報が出てくるので、それをありがたく頼りにして向かう。

必要なものは、パスポートと住所を証明するもの。

しかし、住所を証明するのに何を持っていけばいいのかよく分からず、あと時間もギリギリな感じで本当に登録できるのか不安とともに、とりあえず聞くかの精神で、いろいろ書類持つだけ持って、行ってみた。

 

旧市街(Altstadt)を抜けると、カリーヴルスト屋さんの前にアンペルマンが!

ハイデルベルクは旧西ドイツですが、旧西ドイツにも導入されている地域があるよう。アンペルマン人気ですね。しかし確かに、古い街の雰囲気とは合っている。

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中央通り(Hauptstraße)を出てひたすらまっすぐ進むとご覧の通り、この建物が出現。手前の机が賑わっており、最初カフェかと思って通り過ぎてしまったが、この白い建物が市役所だった。

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中はこんな感じのモダンで開放的な建物。

パスポートと語学学校の学生証を見せたら、住所は口頭でOKされ、すぐに登録できた。

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▲住民の証として、こんなのをもらう。

赤いポーチは、エコバック。たしかにスーパーでもビニール袋ないのがデフォルトだし、エコスタイルだな。

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その帰りの道で、火曜日はアイス食べるデーではないことにしていたので、看板に釣られておやつに冷たいキャラメルマキアートを飲む。が、暑くて秒でなくなるし、意外とカロリー高そうだし、アイスの方が安いし、アイスの方がコスパ良いのでは…と気付いてしまった。

 

今日も天気がいいですね!ハイデルベルク観光の会場がこちら!ここが旧市街の中央通りです。
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細い通りを覗いても素敵。
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ハイデルベルくまー。

 

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この日はアイス食べるデーこと木曜日。f:id:nagatzki0905:20190810071745j:image

マレーナをチョイス。

ジェラート屋さんの入ってる建物を抜けてなんとなくまだ行ったことのない道へ進む。

 

あ、橋があって、気持ち良さそう。

自転車に乗ってるアンペルマンもいるよ。


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と思いながら、天気の良さに溶けてくるアイスを舐めつつ歩く。

橋まで来ると、突然目の前が広がった。ネッカー川だ。

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眼下を見やると、川岸で人びとが寝転んでいた。

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こんなに幸せな風景があるとは思わなかった。

もうここで宿題をすることに。

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影とともに移動しながら、気持ち良い時間を過ごす。

人びとが自然な姿で楽しんでいるのを見ていて、とても幸せな気分になった。

ちなみに、まだベルギーのSPAっていう水のペットボトルを気に入ってリユースしている。

そして早急にギターが欲しくなった。ここでギター弾きたすぎる。

市役所に行く途中に楽器屋さんがあったので、明日にでも買いに行こう。

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▲鳥が一列に並んで歩いていて、めっちゃ可愛いんである。

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▲可愛いといえば、ねずみもいた。


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▲平安貴族の遊びをしている人びと。

夕ご飯どきになると、あちこちでバーベキューが始まった。

馬鹿でかいブロックの肉塊を焼いていたり、女の子2人でも座りながら七輪くらいの小さなグリルに火をつけていたり、めちゃくちゃカジュアルかつ豪快。

 

さて、陽が沈むころ。

といっても20:30くらい。

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こちらの夏は、陽が長い。